た。
「ついたようですぜ」と一人が領《くび》を延《のば》すと
「なあに、ここに立ってさえいれば大丈夫」と腹の減った男は泰然として動《どう》ずる景色《けしき》もない。この男から云うと着いても着かなくても大丈夫なのだろう。それにしても腹の減った割には落ちついたものである。
やがて一二丁向うのプラットフォームの上で万歳! と云う声が聞える。その声が波動のように順送りに近づいてくる。例の男が「なあに、まだ大丈……」と云《い》い懸《か》けた尻尾《しっぽ》を埋《うず》めて余の左右に並んだ同勢は一度に万―歳! と叫んだ。その声の切れるか切れぬうちに一人の将軍が挙手の礼を施しながら余の前を通り過ぎた。色の焦《や》けた、胡麻塩髯《ごましおひげ》の小作《こづく》りな人である。左右の人は将軍の後《あと》を見送りながらまた万歳を唱《とな》える。余も――妙な話しだが実は万歳を唱えた事は生れてから今日《こんにち》に至るまで一度もないのである。万歳を唱えてはならんと誰からも申しつけられた覚《おぼえ》は毛頭ない。また万歳を唱えては悪《わ》るいと云う主義でも無論ない。しかしその場に臨んでいざ大声《たいせい》を発しようとすると、いけない。小石で気管を塞《ふさ》がれたようでどうしても万歳が咽喉笛《のどぶえ》へこびりついたぎり動かない。どんなに奮発しても出てくれない。――しかし今日は出してやろうと先刻《さっき》から決心していた。実は早くその機がくればよいがと待ち構えたくらいである。隣りの先生じゃないが、なあに大丈夫と安心していたのである。喘息病みの鯨が吼《ほ》えた当時からそら来たなとまで覚悟をしていたくらいだから周囲のものがワーと云うや否や尻馬《しりうま》についてすぐやろうと実は舌の根まで出しかけたのである。出しかけた途端に将軍が通った。将軍の日に焦《や》けた色が見えた。将軍の髯《ひげ》の胡麻塩《ごましお》なのが見えた。その瞬間に出しかけた万歳がぴたりと中止してしまった。なぜ?
なぜか分るものか。なにゆえとかこのゆえとか云うのは事件が過ぎてから冷静な頭脳に復したとき当時を回想して始めて分解し得た智識に過ぎん。なにゆえが分るくらいなら始めから用心をして万歳の逆戻りを防いだはずである。予期出来ん咄嗟《とっさ》の働きに分別が出るものなら人間の歴史は無事なものである。余の万歳は余の支配権以外に超然として止《と
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