る態度は貴人が賤者を視るの態度ではない。賢者が愚者を見るの態度でもない。君子が小人を視るの態度でもない。男が女を視、女が男を視るの態度でもない。つまり大人が小供を視るの態度である。両親が児童に対するの態度である。世人はそう思うておるまい。写生文家自身もそう思うておるまい。しかし解剖すればついにここに帰着してしまう。
小供はよく泣くものである。小供の泣くたびに泣く親は気違である。親と小供とは立場が違う。同じ平面に立って、同じ程度の感情に支配される以上は小供が泣くたびに親も泣かねばならぬ。普通の小説家はこれである。彼らは隣り近所の人間を自己と同程度のものと見做《みな》して、擦《す》ったもんだの社会に吾《われ》自身も擦《す》ったり揉《も》んだりして、あくまでも、その社会の一員であると云う態度で筆を執《と》る。したがって隣りの御嬢さんが泣く事をかく時は、当人自身も泣いている。自分が泣きながら、泣く人の事を叙述するのとわれは泣かずして、泣く人を覗《のぞ》いているのとは記叙の題目そのものは同じでもその精神は大変違う。写生文家は泣かずして他の泣くを叙するものである。
そんな不人情な立場に立って人
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