うと堅苦しく聞える。何だか恐ろしくて近寄りにくい。しかし煎《せん》じつめればこの態度である。隣の法律家が余を視る立脚地は、余が隣りの法律家を視る立脚地とは自《おのず》から違う。大袈裟《おおげさ》な言葉で云うと彼此《ひし》の人生観が、ある点において一様でない。と云うに過ぎん。
人事に関する文章はこの視察の表現である。したがって人事に関する文章の差違はこの視察の差違に帰着する。この視察の差違は視察の立場によって岐《わか》れてくる。するとこの立場が文章の差違を生ずる源になる。今の世に云う写生文家というものの文章はいかなる事をかいても皆共有の点を有して、他人のそれとは截然《せつぜん》と区別のできるような特色を帯びている。するとこれらの団体はその特色の共有なる点において、同じ立場に根拠地を構えていると云うてよろしい。もう一遍大袈裟な言葉を借用すると、同じ人生観を有して同じ穴から隣りの御嬢さんや、向うの御爺《おじい》さんを覗《のぞ》いているに相違ない。この穴を紹介するのが余の責任である。否この穴から浮世を覗《のぞ》けばどんなに見えるかと云う事を説明するのが余の義務である。
写生文家の人事に対す
前へ
次へ
全14ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング