らない馬車のかよわない時機を見計ったる監督官はさあ今だ早く乗りたまえという、ただしこの乗るという字に註釈が入る、この字は吾《われ》ら両人の間にはいまだ普通の意味に用られていない、わがいわゆる乗るは彼らのいわゆる乗るにあらざるなり、鞍《くら》に尻をおろさざるなり、ペダルに足をかけざるなり、ただ力学の原理に依頼して毫《ごう》も人工を弄《ろう》せざるの意なり、人をもよけず馬をも避けず水火をも辞せず驀地《ばくち》に前進するの義なり、去るほどにその格好《かっこう》たるやあたかも疝気持《せんきもち》が初出《でぞめ》に梯子乗《はしごのり》を演ずるがごとく、吾ながら乗るという字を濫用《らんよう》してはおらぬかと危ぶむくらいなものである、されども乗るはついに乗るなり、乗らざるにあらざるなり、ともかくも人間が自転車に附着している也、しかも一気呵成《いっきかせい》に附着しているなり、この意味において乗るべく命ぜられたる余は、疾風のごとくに坂の上から転がり出す、すると不思議やな左の方の屋敷の内から拍手して吾が自転行を壮にしたいたずらものがある、妙だなと思う間もなく車はすでに坂の中腹へかかる、今度は大変な物に出
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