らいろいろな条件を提出する、仁恵なる監督官は余が衷情《ちゅうじょう》を憐《あわれ》んで「クラパム・コンモン」の傍人跡あまり繁《しげ》からざる大道の横手馬乗場へと余を拉《らっ》し去る、しかして後「さあここで乗って見たまえ」という、いよいよ降参人の降参人たる本領を発揮せざるを得ざるに至った、ああ悲夫、
 乗って見たまえとはすでに知己《ちき》の語にあらず、その昔本国にあって時めきし時代より天涯《てんがい》万里孤城落日資金窮乏の今日に至るまで人の乗るのを見た事はあるが自分が乗って見たおぼえは毛頭ない、去るを乗って見たまえとはあまり無慈悲なる一言と怒髪鳥打帽を衝《つい》て猛然とハンドルを握ったまではあっぱれ武者《むしゃ》ぶりたのもしかったがいよいよ鞍《くら》に跨《またが》って顧盻《こけい》勇を示す一段になるとおあつらえ通《どお》りに参らない、いざという間際《まぎわ》でずどんと落ること妙なり、自転車は逆立も何もせず至極《しごく》落ちつきはらったものだが乗客だけはまさに鞍壺《くらつぼ》にたまらずずんでん堂とこける、かつて講釈師に聞《きい》た通りを目のあたり自ら実行するとは、あにはからんや、
 監督官
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