《きた》りたる一個の紳士、策《むち》を揚《あ》げざまに余が方を顧《かえり》みて曰《いわ》く大丈夫だ安心したまえ、殺しやしないのだからと、余心中ひそかに驚いて云う、して見ると時には自転車に乗せて殺してしまうのがあるのかしらん英国は険呑《けんのん》な所だと

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 余が廿貫目の婆さんに降参して自転車責に遇《あ》ってより以来、大落五度小落はその数を知らず、或時は石垣にぶつかって向脛《むこうずね》を擦《す》りむき、或る時は立木に突き当って生爪《なまづめ》を剥《は》がす、その苦戦云うばかりなし、しかしてついに物にならざるなり、元来この二十貫目の婆さんはむやみに人を馬鹿にする婆さんにして、この婆さんが皮肉に人を馬鹿にする時、その妹の十一貫目の婆さんは、瞬《またた》きもせず余が黄色な面を打守りていかなる変化が余の眉目《びもく》の間《かん》に現るるかを検査する役目を務める、御役目御苦労の至りだ、この二婆さんの呵責《かしゃく》に逢《あっ》てより以来、余が猜疑心《さいぎしん》はますます深くなり、余が継子根性《ままここんじょう》は日に日に増長し、
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