とにくっついて来た男が吃驚《びっくり》して落車したのもまた無理のないところである、双方共無理のないところであるから不思議はない、当然の事であるが、西洋人の論理はこれほどまで発達しておらんと見えて、彼の落ち人|大《おおい》に逆鱗《げきりん》の体で、チンチンチャイナマンと余を罵《ののし》った、罵られたる余は一矢酬《いっしむく》ゆるはずであるが、そこは大悠《だいゆう》なる豪傑の本性をあらわして、御気の毒だねの一言を遺《のこ》してふり向もせずに曲って行く、実はふり向こうとするうちに車が通り過ぎたのである、「御気の毒だね」よりほかの語が出て来なかったのである、正直なる余は苟且《こうしょ》にも豪傑など云う、一種の曲者と間違らるるを恐れて、ここにゆっくり弁解しておくなり、万一余を豪傑だなどと買被《かいかぶ》って失敬な挙動あるにおいては七生まで祟《たた》るかも知れない、
 忘月忘日 人間万事漱石の自転車で、自分が落ちるかと思うと人を落す事もある、そんなに落胆したものでもないと、今日はズーズーしく構えて、バタシー公園へと急ぐ、公園はすこぶる閑静だが、その手前三丁ばかりのところが非常の雑沓《ざっとう》な通
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