ていない。そうこうしている中に予科三年位から漸々《だんだん》解るようになって来たのである。
 私は又数学に就ても非常に苦しめられたもので、数学の時間にはボールドの前に引き出されて、その儘《まま》一時間位立往生したようなことがよくあった。
 これは、大学予備門の入学試験に応じた時のことであるが、確か数学だけは隣の人に見せて貰ったのか、それともこっそり見たのか、まアそんなことをして試験は漸《や》っと済《すま》したが、可笑《おか》しいのは此の時のことで、私は無事に入学を許されたにも関《かかわ》らず、その見せて呉《く》れた方の男は、可哀想にも不首尾に終って了《しま》った。

     四

 成立学舎では、凡《およ》そ一年程も通ったが、その翌年大学予備門の入学試験を受けて見ると、前いうたようにうまく及第した。丁度《ちょうど》それが十七歳頃であったと思う。
 一寸《ちょっと》ここで、此の頃の予備門に就《つい》て話して置くが、始め予備門の方の年数が四カ年、大学の方が四カ年、都合大学を出るまでには八年間を要することになっていたが、私の入学する前後はその規定は変じて、大学三年、予備門五年と云うことにな
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