食う方へ費して了《しま》ったものである。
 時間も、江東義塾の方は午後二時間|丈《だ》けであったから、予備門から帰って来て教えることになっていた。だから、夜などは無論落ち附いて、自由に自分の勉強をすることも出来たので、何の苦痛も感ぜず、約一年|許《ばか》りもこうしてやっていたが、此の土地は非常に湿気が多い為め、遂《つ》い急性のトラホームを患《わずら》った。それが為め、今も私の眼は丈夫ではない。親はそのトラホームを非常に心配して、「兎《と》に角《かく》、そんな所なら無理に勤めている必要もなかろう」というので、塾の方は退《ひ》き、予備門へは家から通うことにしたが、間もなくその江東義塾は解散になって了《しま》ったのである。
 それから、後の学資はいうまでもなく、再び家から仰いでいたが、大学へ進むようになってからは、特に文部省から貸費を受けることとなり、一方では又東京専門学校の講師を勤めつつ、それ程、苦しみもなく大学を卒《お》えたような次第で、要するに何の益するところもなく、私は学生時代を回顧して、むしろ読者諸君のために戒《いましめ》とならんことを望むものである。



底本:「筑摩全集類聚版
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