ある。

     六

 丁度《ちょうど》予科の三年、十九歳頃のことであったが、私の家は素《もと》より豊かな方ではなかったので、一つには家から学資を仰がずに遣《や》って見ようという考えから、月五円の月給で中村是公氏と共に私塾の教師をしながら予科の方へ通っていたことがある。
 これが私の教師となった始めで、其私塾は江東義塾と云って本所に在《あ》った。或る有志の人達が協同して設けたものであるが、校舎はやはり今考えて見ても随分不潔な方の部類であった。
 一カ月五円と云うと誠に少額ではあるが、その頃はそれで不足なくやって行けた。塾の寄宿舎に入っていたから、舎費|即《すなわ》ち食糧費としては月二円で済《す》み、予備門の授業料といえば月|僅《わずか》に二十五銭(尤《もっと》も一学期分|宛《ずつ》前納することにはなっていたが)それに書物は大抵学校で貸し与えたから、格別その方には金も要《かか》らなかった。先《ま》ず此の中から湯銭の少しも引き去れば、後の残分は大抵|小遣《こづか》いになったので、五円の金を貰うと、直ぐその残分|丈《だ》けを中村是公氏の分と合せて置いて、一所《いっしょ》に出歩いては、多く
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