事であります。私の考《かんがえ》によると、責任を解しない金力家は、世の中にあってならないものなのです。その訳を一口にお話しするとこうなります。金銭というものは至極重宝なもので、何へでも自由自在に融通《ゆうずう》が利く。たとえば今私がここで、相場をして十万円|儲《もう》けたとすると、その十万円で家屋を立てる事もできるし、書籍《しょせき》を買う事もできるし、または花柳《かりゅう》社界を賑《にぎ》わす事もできるし、つまりどんな形にでも変って行く事ができます。そのうちでも人間の精神を買う手段に使用できるのだから恐ろしいではありませんか。すなわちそれをふりまいて、人間の徳義心を買い占《し》める、すなわちその人の魂《たましい》を堕落《だらく》させる道具とするのです。相場で儲《もう》けた金が徳義的|倫理的《りんりてき》に大きな威力をもって働らき得るとすれば、どうしても不都合な応用と云わなければならないかと思われます。思われるのですけれども、実際その通りに金が活動する以上は致し方がない。ただ金を所有している人が、相当の徳義心をもって、それを道義上害のないように使いこなすよりほかに、人心の腐敗《ふはい》
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