力で他を自分に気に入るように変化させようとする。どっちにしても非常な危険が起るのです。
 それで私は常からこう考えています。第一にあなたがたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ちつけべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進《まいしん》しなければ一生の不幸であると。しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向《けいこう》を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。それが必要でかつ正しい事としか私には見えません。自分は天性右を向いているから、あいつが左を向いているのは怪《け》しからんというのは不都合じゃないかと思うのです。もっとも複雑な分子の寄って出来上った善悪とか邪正《じゃせい》とかいう問題になると、少々込み入った解剖《かいぼう》の力を借りなければ何とも申されませんが、そうした問題の関係して来ない場合もしくは関係しても面倒《めんどう》でない場合には、自分が他《ひと》から自由を享有《きょうゆう》している限り、他にも同程度の自由を与えて、同等に取り扱《あつか》わなければならん事と信ずるよりほかに仕方がないのです
前へ 次へ
全53ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング