い》しているのですが、どうでしょうか。もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫《さけ》び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊《こわ》されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡《もた》げて来るのではありませんか。すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄《もや》のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲《ぎせい》を払《はら》っても、ああここだという掘当《ほりあ》てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方のご家族のために申し上げる次第でもありません。あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわり[#「こだわり」
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