。あたかも嚢《ふくろ》の中に詰《つ》められて出る事のできない人のような気持がするのです。私は私の手にただ一本の錐《きり》さえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、焦燥《あせ》り抜《ぬ》いたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝《いんうつ》な日を送ったのであります。
私はこうした不安を抱《いだ》いて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越《ひっこ》し、また同様の不安を胸の底に畳《たた》んでついに外国まで渡《わた》ったのであります。しかしいったん外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまっています。それで私はできるだけ骨を折って何かしようと努力しました。しかしどんな本を読んでも依然《いぜん》として自分は嚢の中から出る訳に参りません。この嚢を突き破る錐は倫敦《ロンドン》中探して歩いても見つかりそうになかったのです。私は下宿の一間の中で考えました。つまらないと思いました。いくら書物を読んでも腹の足《たし》にはならないのだと諦《あきら》めました。同時に何の
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