に傍点]があるなら、それを踏潰《ふみつぶ》すまで進まなければ駄目ですよ。――もっとも進んだってどう進んで好いか解らないのだから、何かにぶつかる所まで行くよりほかに仕方がないのです。私は忠告がましい事をあなたがたに強いる気はまるでありませんが、それが将来あなたがたの幸福の一つになるかも知れないと思うと黙《だま》っていられなくなるのです。腹の中の煮え切らない、徹底《てってい》しない、ああでもありこうでもあるというような海鼠《なまこ》のような精神を抱《いだ》いてぼんやりしていては、自分が不愉快ではないか知らんと思うからいうのです。不愉快でないとおっしゃればそれまでです、またそんな不愉快は通り越《こ》しているとおっしゃれば、それも結構であります。願《ねがわ》くは通り越してありたいと私は祈《いの》るのであります。しかしこの私は学校を出て三十以上まで通り越せなかったのです。その苦痛は無論|鈍痛《どんつう》ではありましたが、年々|歳々《さいさい》感ずる痛《いたみ》には相違なかったのであります。だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛《ゆうもう》にお進みにならん事を希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握る事ができるようになると思うから申し上げるのです。
 今まで申し上げた事はこの講演の第一|篇《ぺん》に相当するものですが、私はこれからその第二篇に移ろうかと考えます。学習院という学校は社会的地位の好い人が這入る学校のように世間から見傚《みな》されております。そうしてそれがおそらく事実なのでしょう。もし私の推察通り大した貧民はここへ来ないで、むしろ上流社会の子弟ばかりが集まっているとすれば、向後あなたがたに附随してくるもののうちで第一番に挙げなければならないのは権力であります。換言《かんげん》すると、あなた方が世間へ出れば、貧民が世の中に立った時よりも余計権力が使えるという事なのです。前申した、仕事をして何かに掘りあてるまで進んで行くという事は、つまりあなた方の幸福のため安心のためには相違ありませんが、なぜそれが幸福と安心とをもたらすかというと、あなた方のもって生れた個性がそこにぶつかって始めて腰がすわるからでしょう。そうしてそこに尻を落ちつけてだんだん前の方へ進んで行くとその個性がますます発展して行くからでしょう。ああここにおれの安住の地位があったと、あなた方の仕事とあなたがたの個性が、しっくり合った時に、始めて云い得るのでしょう。
 これと同じような意味で、今申し上げた権力というものを吟味《ぎんみ》してみると、権力とは先刻《さっき》お話した自分の個性を他人の頭の上に無理矢理に圧《お》しつける道具なのです。道具だと断然云い切ってわるければ、そんな道具に使い得る利器なのです。
 権力に次ぐものは金力です。これもあなたがたは貧民よりも余計に所有しておられるに相違ない。この金力を同じくそうした意味から眺めると、これは個性を拡張するために、他人の上に誘惑《ゆうわく》の道具として使用し得る至極重宝なものになるのです。
 してみると権力と金力とは自分の個性を貧乏人《びんぼうにん》より余計に、他人の上に押し被《かぶ》せるとか、または他人をその方面に誘《おび》き寄せるとかいう点において、大変|便宜《べんぎ》な道具だと云わなければなりません。こういう力があるから、偉いようでいて、その実非常に危険なのです。先刻申した個性はおもに学問とか文芸とか趣味《しゅみ》とかについて自己の落ちつくべき所まで行って始めて発展するようにお話し致したのですが、実をいうとその応用ははなはだ広いもので、単に学芸だけにはとどまらないのです。私の知っている兄弟で、弟の方は家に引込《ひっこ》んで書物などを読む事が好きなのに引《ひ》き易《か》えて、兄はまた釣道楽《つりどうらく》に憂身《うきみ》をやつしているのがあります。するとこの兄が自分の弟の引込思案でただ家にばかり引籠《ひきこも》っているのを非常に忌《い》まわしいもののように考えるのです。必竟《ひっきょう》は釣をしないからああいう風に厭世的《えんせいてき》になるのだと合点《がてん》して、むやみに弟を釣に引張り出そうとするのです。弟はまたそれが不愉快でたまらないのだけれども、兄が高圧的に釣竿《つりざお》を担がしたり、魚籃《びく》を提げさせたりして、釣堀へ随行を命ずるものだから、まあ目を瞑《つむ》ってくっついて行って、気味の悪い鮒《ふな》などを釣っていやいや帰ってくるのです。それがために兄の計画通り弟の性質が直ったかというと、けっしてそうではない、ますますこの釣というものに対して反抗心を起してくるようになります。つまり
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