立派に始末をつけようという気になりました。すなわち外国へ行った時よりも帰って来た時の方が、偶然《ぐうぜん》ながらある力を得た事になるのです。
 ところが帰るや否や私は衣食のために奔走《ほんそう》する義務がさっそく起りました。私は高等学校へも出ました。大学へも出ました。後では金が足りないので、私立学校も一|軒《けん》稼《かせ》ぎました。その上私は神経衰弱《しんけいすいじゃく》に罹りました。最後に下らない創作などを雑誌に載《の》せなければならない仕儀《しぎ》に陥《おちい》りました。いろいろの事情で、私は私の企《くわだ》てた事業を半途《はんと》で中止してしまいました。私の著《あら》わした文学論はその記念というよりもむしろ失敗の亡骸《なきがら》です。しかも畸形児《きけいじ》の亡骸です。あるいは立派に建設されないうちに地震《じしん》で倒《たお》された未成市街の廃墟《はいきょ》のようなものです。
 しかしながら自己本位というその時得た私の考は依然としてつづいています。否年を経るに従ってだんだん強くなります。著作的事業としては、失敗に終りましたけれども、その時確かに握った自己が主で、他は賓《ひん》であるという信念は、今日の私に非常の自信と安心を与えてくれました。私はその引続きとして、今日なお生きていられるような心持がします。実はこうした高い壇の上に立って、諸君を相手に講演をするのもやはりその力のお蔭《かげ》かも知れません。
 以上はただ私の経験だけをざっとお話ししたのでありますけれども、そのお話しを致した意味は全くあなたがたのご参考になりはしまいかという老婆心《ろうばしん》からなのであります。あなたがたはこれからみんな学校を去って、世の中へお出かけになる。それにはまだ大分時間のかかる方もございましょうし、またはおっつけ実社界に活動なさる方もあるでしょうが、いずれも私の一度経過した煩悶《はんもん》(たとい種類は違っても)を繰返《くりかえ》しがちなものじゃなかろうかと推察されるのです。私のようにどこか突き抜けたくっても突き抜ける訳にも行かず、何か掴《つか》みたくっても薬缶頭《やかんあたま》を掴むようにつるつるして焦燥《じ》れったくなったりする人が多分あるだろうと思うのです。もしあなたがたのうちですでに自力で切り開いた道を持っている方は例外であり、また他《ひと》の後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んで行く人も悪いとはけっして申しませんが、(自己に安心と自信がしっかり附随《ふずい》しているならば、)しかしもしそうでないとしたならば、どうしても、一つ自分の鶴嘴で掘り当てるところまで進んで行かなくってはいけないでしょう。いけないというのは、もし掘りあてる事ができなかったなら、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです。私のこの点を力説するのは全くそのためで、何も私を模範《もはん》になさいという意味ではけっしてないのです。私のようなつまらないものでも、自分で自分が道をつけつつ進み得たという自覚があれば、あなた方から見てその道がいかに下らないにせよ、それはあなたがたの批評と観察で、私には寸毫《すんごう》の損害がないのです。私自身はそれで満足するつもりであります。しかし私自身がそれがため、自信と安心をもっているからといって、同じ径路《けいろ》があなたがたの模範になるとはけっして思ってはいないのですから、誤解してはいけません。
 それはとにかく、私の経験したような煩悶があなたがたの場合にもしばしば起るに違いないと私は鑑定《かんてい》しているのですが、どうでしょうか。もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫《さけ》び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊《こわ》されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡《もた》げて来るのではありませんか。すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄《もや》のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲《ぎせい》を払《はら》っても、ああここだという掘当《ほりあ》てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。またあなた方のご家族のために申し上げる次第でもありません。あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわり[#「こだわり」
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