畠《はたけ》があって、そこに茄子《なす》や唐《とう》もろこしが作ってあります。この茄子を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《も》いで食おうかと相談しましたが、漬物《つけもの》に拵《こしら》えるのが面倒なので、ついやめにしました。唐もろこしはまだ食べられるほど実が入りません。勝手口の井戸の傍《そば》に、トマトーが植えてあります。それを朝、顔を洗うついでに、二人で食いました。
兄さんは暑い日盛《ひざかり》に、この庭だか畑だか分らない地面の上に下りて、じっと蹲踞《しゃが》んでいる事があります。時々かんなの花の香《におい》を嗅《か》いで見たりします。かんなに香なんかありゃしません。凋《しぼ》んだ月見草の花片《はなびら》を見つめている事もあります。着いた日などは左隣の長者《ちょうじゃ》の別荘の境に生えている薄《すすき》の傍へ行って、長い間立っていました。私は座敷からその様子を眺めていましたが、いつまで経《た》っても兄さんが動かないので、しまいに縁先にある草履《ぞうり》をつっかけて、わざわざ傍へ行って見ました。隣と我々の住居《すまい》との仕切になっているそこは、高さ一間ぐらいの土堤《どて》で、時節柄《じせつがら》一面の薄《すすき》が蔽《おお》い被《かぶ》さっているのです。兄さんは近づいた私を顧みて、下の方にある薄の根を指さしました。
薄の根には蟹《かに》が這《は》っていました。小さな蟹でした。親指の爪ぐらいの大きさしかありません。それが一匹ではないのです。しばらく見ているうちに、一匹が二匹になり、二匹が三匹になるのです。しまいにはあすこにもここにも蒼蠅《うるさ》いほど眼に着き出します。
「薄の葉を渡る奴《やつ》があるよ」
兄さんはこんな観察をして、まだ動かずに立っています。私は兄さんをそこへ残してまたもとの席へ帰りました。
兄さんがこういう些細《ささい》な事に気を取られて、ほとんど我を忘れるのを見る私は、はなはだ愉快です。これでこそ兄さんを旅行に連れ出した甲斐《かい》があると思うくらいです。その晩私はその意味を兄さんに話しました。
四十八
「先刻《さっき》君は蟹を所有していたじゃないか」
私が兄さんに突然こう云いかけますと、兄さんは珍らしくあははと声を立てて愉快そうに笑いました。修善寺以後、私が時々所有という言葉を、妙な意味に使って見せるので、単にそれを滑稽《こっけい》と解釈している兄さんにはおかしく響くのでしょう。おかしがられるのは、怒られるよりもよっぽどましですが、事実私の方ではもっと真面目《まじめ》なのでした。
「絶対に所有していたのだろう」と私はすぐ云い直しました。今度は兄さんも笑いませんでした。しかしまだ何とも答えません。口を開くのはやはり私の番でした。
「君は絶対絶対と云って、この間むずかしい議論をしたが、何もそう面倒な無理をして、絶対なんかに這入《はい》る必要はないじゃないか。ああいう風に蟹に見惚《みと》れてさえいれば、少しも苦しくはあるまいがね。まず絶対を意識して、それからその絶対が相対に変る刹那《せつな》を捕《とら》えて、そこに二つの統一を見出すなんて、ずいぶん骨が折れるだろう。第一人間にできる事か何だかそれさえ判然しやしない」
兄さんはまだ私を遮《さえぎ》ろうとはしません。いつもよりはだいぶ落ちついているようでした。私は一歩先へ進みました。
「それより逆《ぎゃく》に行った方が便利じゃないか」
「逆とは」
こう聞き返す兄さんの眼には誠が輝いていました。
「つまり蟹に見惚れて、自分を忘れるのさ。自分と対象とがぴたりと合えば、君の云う通りになるじゃないか」
「そうかな」
兄さんは心元《こころもと》なさそうな返事をしました。
「そうかなって、君は現に実行しているじゃないか」
「なるほど」
兄さんのこの言葉はやはり茫然《ぼうぜん》たるものでした。私はこの時ふと自分が今まで余計な事を云っていたのに気がつきました。実を云うと、私は絶対というものをまるで知らないのです。考えもしなかったのです。想像もした覚《おぼえ》がないのです。ただ教育の御蔭《おかげ》でそう云う言葉を使う事だけを知っていたのです。けれども私は人間として兄さんよりも落ちついていました。落ちついているという事が兄さんより偉いという意味に聞こえては面目ないくらいなものですから、私は兄さんより普通一般に近い心の状態をもっていたと云い直しましょう。朋友《ほうゆう》として私の兄さんに向って働きかける仕事は、だからただ兄さんを私のような人並な立場に引き戻すだけなのです。しかしそれを別な言葉で云って見ると非凡《ひぼん》なものを平凡《へいぼん》にするという馬鹿気た意味にもなって来ます。もし兄さんの方で苦痛の訴えがないならば、私のようなものが、何で兄さんにこんな問答を仕かけましょう。兄さんは正直です。腑《ふ》に落ちなければどこまでも問いつめて来ます。問いつめて来られれば、私には解らなくなります。それだけならまだしもですが、こういう批評的な談話を交換していると、せっかく実行的になりかけた兄さんを、またもとの研究的態度に戻してしまう恐れがあるのです。私は何より先にそれを気遣《きづかい》ました。私は天下にありとあらゆる芸術品、高山大河《こうざんたいが》、もしくは美人、何でも構わないから、兄さんの心を悉皆《しっかい》奪い尽して、少しの研究的態度も萌《きざ》し得ないほどなものを、兄さんに与えたいのです。そうして約一年ばかり、寸時の間断なく、その全勢力の支配を受けさせたいのです。兄さんのいわゆる物を所有するという言葉は、必竟《ひっきょう》物に所有されるという意味ではありませんか。だから絶対に物から所有される事、すなわち絶対に物を所有する事になるのだろうと思います。神を信じない兄さんは、そこに至って始めて世の中に落ちつけるのでしょう。
四十九
一昨日《おととい》の晩は二人で浜を散歩しました。私たちのいる所から海辺《うみべ》までは約三丁もあります。細い道を通って、いったん街道へ出て、またそれを横切らなければ海の色は見えないのです。月の出にはまだ間がある時刻でした。波は存外暗く動いていました。眼がなれるまでは、水と磯《いそ》との境目《さかいめ》が判然《はっきり》分らないのです。兄さんはその中を容赦なくずんずん歩いて行きます。私は時々|生温《なまぬる》い水に足下《あしもと》を襲われました。岸へ寄せる波の余りが、のし餅《もち》のように平《たい》らに拡《ひろ》がって、思いのほか遠くまで押し上げて来るのです。私は後《うしろ》から兄さんに、「下駄《げた》が濡《ぬ》れやしないか」と聞きました。兄さんは命令でも下すように、「尻を端折《はしお》れ」と云いました。兄さんは先刻《さっき》から足を汚す覚悟で、尻を端折っていたものと見えます。二三間離れた私にはそれが分らないくらい四囲《あたり》が暗いのでした。けれども時節柄《じせつがら》なんでしょう、避暑地だけあって人に会います。そうして会う人も会う人も、必ず男女《なんにょ》二人連《ふたりづれ》に限られていました。彼らは申し合せたように、黙って闇《やみ》の中を辿《たど》って来ます。だから忽然《こつぜん》[#ルビの「こつぜん」は底本では「こつぜつ」]私たちの前へ現われるまでは、まるで気がつかないのです。彼らが摺《す》り抜けるように私たちの傍《そば》を通って行く時、眼を上げて物色《ぶっしょく》すると、どれもこれも若い男と若い女ばかりです。私はこういう一対《いっつい》に何度か出合いました。
私が兄さんからお貞さんという人の話を聞いたのはその時の事でした。お貞さんは近頃大阪の方へ御嫁に行ったんだそうですから、兄さんはその宵《よい》に出逢《であ》った幾組かの若い男や女から、お貞さんの花嫁姿を連想でもしたのでしょう。
兄さんはお貞さんを宅中《うちじゅう》で一番慾の寡《すく》ない善良な人間だと云うのです。ああ云うのが幸福に生れて来た人間だと云って羨《うらや》ましがるのです。自分もああなりたいと云うのです。お貞さんを知らない私は、何とも評しようがありませんから、ただそうかそうかと答えておきました。すると兄さんが「お貞さんは君を女にしたようなものだ」と云って砂の上へ立ちどまりました。私も立ちどまりました。
向うの高い所に微《かす》かな灯火《ともしび》が一つ眼に入りました。昼間見ると、その見当《けんとう》に赤い色の建物が樹《こ》の間隠《まがくれ》に眺められますから、この灯火もおおかたその赤い洋館の主《ぬし》が点《つ》けているのでしょう。濃い夜陰《やいん》の色の中にたった一つかけ離れて星のように光っているのです。私の顔はその灯火の方を向いていました。兄さんはまた浪《なみ》の来る海をまともに受けて立ちました。
その時二人の頭の上で、ピアノの音《ね》が不意に起りました。そこは砂浜から一間の高さに、石垣を規則正しく積み上げた一構《ひとかまえ》で、庭から浜へじかに通えるためでしょう、石垣の端《はじ》には階段が筋違《すじかい》に庭先まで刻《きざ》み上げてありました。私はその石段を上りました。
庭には家を洩《も》れる電灯の光が、線のように落ちていました。その弱い光で照されていた地面は一体の芝生《しばふ》でした。花もあちこちに咲いているようでしたが、これは暗い上に広い庭なので、判然《はっきり》とは分りませんでした。ピアノの音《おと》は正面に見える洋館の、明るく照された一室から出るようでした。
「西洋人の別荘だね」
「そうだろう」
兄さんと私は石段の一番上の所に並んで腰をかけました。聞こえないようなまた聞こえるようなピアノの音が、時々二人の耳を掠《かす》めに来ます。二人共無言でした。兄さんの吸う煙草《たばこ》の先が時々赤くなりました。
五十
私はお貞さんのつづきでも出る事と思って、暗い中でそれとなく兄さんの声を待ち受けていたのですが、兄さんは煙草に魅《み》せられた人のように、時々紙巻の先を赤くするだけで、なかなか口を開きません。それを石段の下へ投げて私の方へ向いた時は、もう話題がお貞さんを離れていました。私は少し意外に思いました。兄さんの題目は、お貞さんに関係のないばかりか、ピアノの音にも、広い芝生にも、美しい別荘にも、乃至《ないし》は避暑にも旅行にも、すべて我々の周囲と現在とは全く交渉を絶った昔の坊さんの事でした。
坊さんの名はたしか香厳《きょうげん》とか云いました。俗にいう一を問えば十を答え、十を問えば百を答えるといった風の、聡明霊利《そうめいれいり》に生れついた人なのだそうです。ところがその聡明霊利が悟道《ごどう》の邪魔になって、いつまで経《た》っても道に入れなかったと兄さんは語りました。悟《さとり》を知らない私にもこの意味はよく通じます。自分の智慧《ちえ》に苦しみ抜いている兄さんにはなおさら痛切に解っているでしょう。兄さんは「全く多知多解《たちたげ》が煩《わずらい》をなしたのだ」ととくに注意したくらいです。
数年《すねん》の間|百丈禅師《ひゃくじょうぜんじ》とかいう和尚《おしょう》さんについて参禅したこの坊さんはついに何の得るところもないうちに師に死なれてしまったのです。それで今度は※[#「さんずい+爲」、第3水準1−87−10]山《いさん》という人の許《もと》に行きました。※[#「さんずい+爲」、第3水準1−87−10]山は御前のような意解識想《いげしきそう》をふり舞わして得意がる男はとても駄目《だめ》だと叱りつけたそうです。父も母も生れない先の姿になって出て来いと云ったそうです。坊さんは寮舎に帰って、平生読み破った書物上の知識を残らず点検したあげく、ああああ画《え》に描《か》いた餅《もち》はやはり腹の足《たし》にならなかったと嘆息したと云います。そこで今まで集めた書物をすっかり焼き棄《す》ててしまったのです。
「もう諦《あきら》めた。これからはただ粥《かゆ》を啜《すす》って生きて
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