と碁なんぞ打っていられないという気分に襲われると予知していたのです。けれどもまた打たずにはいられなくなったのです。それでやむをえず盤に向ったのです。盤に向うや否や自烈《じれっ》たくなったのです。しまいには盤面に散点する黒と白が、自分の頭を悩ますために、わざと続いたり離れたり、切れたり合ったりして見せる、怪物のように思われたのだそうです。兄さんはもうちっとで、盤面をめちゃめちゃに掻《か》き乱して、この魔物を追払《おっぱら》うところだったと云いました。何事も知らなかった私は、少し驚きながらも悪い事をしたと思いました。
「いや碁に限った訳じゃない」と云って兄さんは、自分の過失《あやまち》を許してくれました。私はその時兄さんから、兄さんの平生を聞きました。兄さんの態度は碁を中途でやめた時ですら落ちついていました。上部《うわべ》から見ると何の異状もない兄さんの心持は、おそらくあなた方には理解されていないかも知れません。少くともこういう私には一つの発見でした。
 兄さんは書物を読んでも、理窟《りくつ》を考えても、飯を食っても、散歩をしても、二六時中何をしても、そこに安住する事ができないのだそうです。何をしても、こんな事をしてはいられないという気分に追いかけられるのだそうです。
「自分のしている事が、自分の目的《エンド》になっていないほど苦しい事はない」と兄さんは云います。
「目的でなくっても方便《ミインズ》になれば好いじゃないか」と私が云います。
「それは結構である。ある目的があればこそ、方便が定められるのだから」と兄さんが答えます。
 兄さんの苦しむのは、兄さんが何をどうしても、それが目的にならないばかりでなく、方便にもならないと思うからです。ただ不安なのです。したがってじっとしていられないのです。兄さんは落ちついて寝ていられないから起きると云います。起きると、ただ起きていられないから歩くと云います。歩くとただ歩いていられないから走《か》けると云います。すでに走け出した以上、どこまで行っても止まれないと云います。止まれないばかりなら好いが刻一刻と速力を増して行かなければならないと云います。その極端を想像すると恐ろしいと云います。冷汗が出るように恐ろしいと云います。怖《こわ》くて怖くてたまらないと云います。

        三十二

 私は兄さんの説明を聞いて、驚きました。しかしそういう種類の不安を、生れてからまだ一度も経験した事のない私には、理解があっても同情は伴いませんでした。私は頭痛を知らない人が、割れるような痛みを訴えられた時の気分で、兄さんの話に耳を傾けていました。私はしばらく考えました。考えているうちに、人間の運命というものが朧気《おぼろげ》ながら眼の前に浮かんで来ました。私は兄さんのために好い慰藉《いしゃ》を見出したと思いました。
「君のいうような不安は、人間全体の不安で、何も君一人だけが苦しんでいるのじゃないと覚《さと》ればそれまでじゃないか。つまりそう流転《るてん》して行くのが我々の運命なんだから」
 私のこの言葉はぼんやりしているばかりでなく、すこぶる不快に生温《なまぬ》るいものでありました。鋭い兄さんの眼から出る軽侮《けいぶ》の一瞥《いちべつ》と共に葬られなければなりませんでした。兄さんはこう云うのです。
「人間の不安は科学の発展から来る。進んで止《とど》まる事を知らない科学は、かつて我々に止まる事を許してくれた事がない。徒歩から俥《くるま》、俥から馬車、馬車から汽車、汽車から自動車、それから航空船、それから飛行機と、どこまで行っても休ませてくれない。どこまで伴《つ》れて行かれるか分らない。実に恐ろしい」
「そりゃ恐ろしい」と私も云いました。
 兄さんは笑いました。
「君の恐ろしいというのは、恐ろしいという言葉を使っても差支《さしつか》えないという意味だろう。実際恐ろしいんじゃないだろう。つまり頭の恐ろしさに過ぎないんだろう。僕のは違う。僕のは心臓の恐ろしさだ。脈を打つ活きた恐ろしさだ」
 私は兄さんの言葉に一毫《いちごう》も虚偽の分子の交っていない事を保証します。しかし兄さんの恐ろしさを自分の舌で甞《な》めて見る事はとてもできません。
「すべての人の運命なら、君一人そう恐ろしがる必要がない」と私は云いました。
「必要がなくても事実がある」と兄さんは答えました。その上|下《しも》のような事も云いました。
「人間全体が幾世紀かの後《のち》に到着すべき運命を、僕は僕一人で僕一代のうちに経過しなければならないから恐ろしい。一代のうちならまだしもだが、十年間でも、一年間でも、縮めて云えば一カ月間|乃至《ないし》一週間でも、依然として同じ運命を経過しなければならないから恐ろしい。君は嘘《うそ》かと思うかも知れないが、僕の生活のどこをどんな断片に切って見ても、たといその断片の長さが一時間だろうと三十分だろうと、それがきっと同じ運命を経過しつつあるから恐ろしい。要するに僕は人間全体の不安を、自分一人に集めて、そのまた不安を、一刻一分の短時間に煮つめた恐ろしさを経験している」
「それはいけない。もっと気を楽にしなくっちゃ」
「いけないぐらいは自分にも好く解っている」
 私は兄さんの前で黙って煙草《たばこ》を吹かしていました。私は心のうちで、どうかして兄さんをこの苦痛から救い出して上げたいと念じました。私はすべてその他の事を忘れました。今までじっと私の顔を見守っていた兄さんは、その時突然「君の方が僕より偉《えら》い」と云いました。私は思想の上において、兄さんこそ私に優《すぐ》れていると感じている際でしたから、この賛辞に対して嬉《うれ》しいともありがたいとも思う気は起りませんでした。私はやはり黙って煙草を吹かしていました。兄さんはだんだん落ちついて来ました。それから二人とも一つ蚊帳《かや》に這入《はい》って寝ました。

        三十三

 翌日《あくるひ》も我々は同じ所に泊《とま》っていました。朝起き抜けに浜辺を歩いた時、兄さんは眠っているような深い海を眺めて、「海もこう静かだと好いね」と喜びました。近頃の兄さんは何でも動かないものが懐《なつ》かしいのだそうです。その意味で水よりも山が気に入るのでした。気に入ると云っても、普通の人間が自然を楽しむ時の心持とは少し違うようです。それは下《しも》に挙《あ》げる兄さんの言葉で御解りになるでしょう。
「こうして髭《ひげ》を生やしたり、洋服を着たり、シガーを銜《くわ》えたりするところは上部《うわべ》から見ると、いかにも一人前《ひとりまえ》の紳士らしいが、実際僕の心は宿なしの乞食《こじき》みたように朝から晩までうろうろしている。二六時中不安に追いかけられている。情ないほど落ちつけない。しまいには世の中で自分ほど修養のできていない気の毒な人間はあるまいと思う。そういう時に、電車の中やなにかで、ふと眼を上げて向う側を見ると、いかにも苦《く》のなさそうな顔に出っ食わす事がある。自分の眼が、ひとたびその邪念の萌《きざ》さないぽかんとした顔に注《そそ》ぐ瞬間に、僕はしみじみ嬉しいという刺戟《しげき》を総身《そうしん》に受ける。僕の心は旱魃《かんばつ》に枯れかかった稲の穂が膏雨《こうう》を得たように蘇《よみが》える。同時にその顔――何も考えていない、全く落ちつき払ったその顔が、大変気高く見える。眼が下っていても、鼻が低くっても、雑作《ぞうさく》はどうあろうとも、非常に気高く見える。僕はほとんど宗教心に近い敬虔《けいけん》の念をもって、その顔の前に跪《ひざま》ずいて感謝の意を表したくなる。自然に対する僕の態度も全く同じ事だ。昔のようにただうつくしいから玩《もてあそ》ぶという心持は、今の僕には起る余裕がない」
 兄さんはその時電車のなかで偶然見当る尊《たっと》い顔の部類の中《うち》へ、私を加えました。私は思いも寄らん事だと云って辞退しました。すると兄さんは真面目《まじめ》な態度でこう云いました。
「君でも一日のうちに、損も得も要《い》らない、善も悪も考えない、ただ天然のままの心を天然のまま顔に出している事が、一度や二度はあるだろう。僕の尊いというのは、その時の君の事を云うんだ。その時に限るのだ」
 兄さんはこう云われても覚束《おぼつか》なく見える私のために、具体的な証拠を示してやるというつもりか、昨夜《ゆうべ》二人が床に入る前の私を取って来てその例に引きました。兄さんはあの折談話の機《はずみ》でつい興奮し過ぎたと自白しました。しかし私の顔を見たときに、その激した心の調子がしだいに収まったと云うのです。私が肯《うけが》おうと肯うまいと、それには頓着《とんじゃく》する必要がない、ただその時の私から好い影響を受けて、一時的にせよ苦しい不安を免《まぬ》かれたのだと、兄さんは断言するのです。
 その時の私は前《ぜん》云った通りです。ただ煙草《たばこ》を吹かして黙っていただけです。私はその時すべての事を忘れました。独《ひと》り兄さんをどうにかしてこの不安の裡《うち》から救って上げたいと念じました。けれども私の心が兄さんに通じようとは思いませんでした。また通じさせようという気は無論ありませんでした。だから何にも云わずに黙って煙草を吹かしていたのです。しかしそこに純粋な誠があったのかも知れません。兄さんはその誠を私の顔に読んだのでしょうか。
 私は兄さんと砂浜の上をのそりのそりと歩きました。歩きながら考えました。兄さんは早晩宗教の門を潜《くぐ》って始めて落ちつける人間ではなかろうか。もっと強い言葉で同じ意味を繰り返すと、兄さんは宗教家になるために、今は苦痛を受けつつあるのではなかろうか。

        三十四

「君近頃神というものについて考えた事はないか」
 私はしまいにこういう質問を兄さんにかけました。私がここでとくに「近頃」と断ったのは、書生時代の古い回想から来たものであります。その時分は二人共まだ考えの纏《まと》まらない青二才でしたが、それでも私は思索に耽《ふけ》り勝《がち》な兄さんと、よく神の存在について云々したものであります。ついでだから申しますが、兄さんの頭はその時分から少しほかの人とは変っていました。兄さんは浮々《うかうか》と散歩をしていて、ふと自分が今歩いていたなという事実に気がつくと、さあそれが解すべからざる問題になって、考えずにはいられなくなるのでした。歩こうと思えば歩くのが自分に違《ちがい》ないが、その歩こうと思う心と、歩く力とは、はたしてどこから不意に湧《わ》いて出るか、それが兄さんには大いなる疑問になるのでした。
 二人はそんな事から神とか第一原因とかいう言葉をよく使いました。今から考えると解らずに使ったのでした。しかし口の先で使い慣れた結果、しまいには神もいつか陳腐《ちんぷ》になりました。それから二人とも申し合せたように黙りました。黙ってから何年目になるでしょう。私は静かな夏の朝の、海という深い色を沈める大きな器《うつわ》の前に立って、兄さんと相対しつつ、再び神という言葉を口にしたのであります。
 しかし兄さんはその言葉を全く忘れていました。思い出す気色《けしき》さえありませんでした。私の質問に対する返事としては、ただ微《かす》かな苦笑があの皮肉な唇《くちびる》の端を横切っただけでした。
 私は兄さんのこの態度で辟易《へきえき》するほどに臆病ではありませんでした。また思う事を云い終《おお》せずに引込むほど疎《うと》い間柄《あいだがら》でもありませんでした。私は一歩前へ進みました。
「どこの馬の骨だか分らない人間の顔を見てさえ、時々ありがたいという気が起るなら、円満な神の姿を束《つか》の間《ま》も離れずに拝んでいられる場合には、何百倍幸福になるか知れないじゃないか」
「そんな意味のない口先だけの論理《ロジック》が何の役に立つものかね。そんなら神を僕の前に連れて来て見せてくれるが好い」
 兄さんの調子にも兄さんの眉間《みけん》にも自烈《じれっ》たそうなものが顫動《せんどう》
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