来た。頁《ページ》の数《かず》から云っても、二時間や三時間でできる仕事ではなかった。自分は机の前に縛《くく》りつけられた人形《にんぎょう》のような姿勢で、それを読み始めた。自分の眼には、この小さな黒い字の一点一|劃《かく》も読み落すまいという決心が、焔《ほのお》のごとく輝いた。自分の心は頁の上に釘《くぎ》づけにされた。しかも雪を行く橇《そり》のように、その上を滑《すべ》って行った。要するに自分はHさんの手紙の最初の頁の第一行から読み始めて、最後の頁の最終の文句に至るまでに、どのくらいの時間が要《い》ったかまるで知らなかった。
 手紙は下《しも》のように書いてあった。
「長野君を誘って旅へ出るとき、あなたから頼まれた事を、いったん引き受けるには引き受けたが、いざとなって見ると、とても実行はできまい、またできてもする必要があるまい、もしくは必要と不必要にかかわらず、するのは好《この》もしい事でなかろう、――こういう考えでいました。旅行を始めてから一日《いちにち》二日《ふつか》は、この三つの事情のすべてかあるいは幾分かが常に働くので、これではせっかくの約束も反古《ほご》にしなければならないという気が強く募《つの》りました。それが三日《みっか》四日《よっか》となった時、少し考えさせられました。五日《いつか》六日《むいか》と日を重ねるに従って、考えるばかりでなく、約束通りあなたに手紙を上げるのが、あるいは必要かも知れないと思うようになりました。もっともここにいう必要という意味が、あなたと私とで、だいぶ違うかも知れませんが、それはこの手紙をしまいまで御読みになれば解る事ですから、説明はしません。それから当初私の抱いた好もしくないという倫理上の感じ、これはいくら日数《ひかず》を経過しても取去る訳には行きませんが、片方にある必要の度《ど》が、自然それを抑えつけるほど強くなって来た事もまた確《たしか》であります。おそらく手紙を書いている暇があるまい。――この故障だけは始めあなたに申上げた通りどこまでもつけ纏《まと》って離れませんでした。我々二人はいっしょの室《へや》に寝ます、いっしょの室で飯を食います、散歩に出る時もいっしょです、湯も風呂場の構造が許す限りは、いっしょに這入《はい》ります。こう数え立てて見ると、別々に行動するのは、まあ厠《かわや》に上《のぼ》る時ぐらいなものなのですから。
 無論我々二人は朝から晩までのべつに喋舌《しゃべ》り続けている訳ではありません。御互が勝手な書物を手にしている時もあります、黙って寝転《ねころ》んでいる事もあります。しかし現にその人のいる前で、その人の事を知らん顔で書いて、そうしてそれをそっと他《ひと》に知らせるのはちょっと私にとってはでき悪《にく》いのです。書くべき必要を認め出した私も、これには弱りました。いくら書く機会を見つけよう見つけようと思っても、そんな機会の出て来るはずがないのですから。しかし偶然はついに私の手を導いて、私に私の必要と認める仕事をさせるようにしてくれました。私はそれほど兄さんに気兼《きがね》をせずに、この手紙を書き初めました。そうして同じ状態の下《もと》に、それを書き終る事を希望します。

        二十九

 我々は二三日前からこの紅《べに》が谷《やつ》の奥に来て、疲れた身体《からだ》を谷と谷の間に放り出しました。いる所は私の親戚のもっている小さい別荘です。所有主は八月にならないと東京を離れる事がむずかしいので、その前ならいつでも君方に用立《ようだ》てて宜《よろ》しいと云った言葉を、はからず旅行中に利用する訳になったのであります。
 別荘というと大変|人聞《ひとぎき》が好いようですが、その実ははなはだ見苦しい手狭《てぜま》なもので、構えからいうと、ちょうど東京の場末にある四五十円の安官吏[#「吏」は底本では「史」]の住居《すまい》です。しかし田舎《いなか》だけに邸内の地面には多少の余裕があります。庭だか菜園だか分らないものが、軒から爪下《つまさが》りに向うの垣根まで続いています。その垣には珊瑚樹《さんごじゅ》の実が一面に結《な》っていて、葉越に隣の藁屋根《わらやね》が四半分ほど見えます。
 同じ軒の下から谷を隔てて向うの山も手に取るように見えます。この山全体がある伯爵の別荘地で、時には浴衣《ゆかた》の色が樹《こ》の間《ま》から見えたり、女の声が崖《がけ》の上で響いたりします。その崖の頂《いただき》には高い松が空を突くように聳《そび》えています。我々は低い軒の下から朝夕《あさゆう》この松を見上るのを、高尚な課業のように心得て暮しています。
 今まで通って来たうちで、君の兄さんにはここが一番気に入ったようです。それにはいろいろな意味があるかも知れませんが、二人ぎりで独立した一軒の家の主人《あるじ》になりすまされたという気分が、人慣れない兄さんの胸に一種の落ちつきを与えるのが、その大原因だろうと思います。今までどこへ泊ってもよく寝られなかった兄さんは、ここへ来た晩からよく寝ます。現に今私がこうやって万年筆《まんねんふで》を走らしている間も、ぐうぐう寝ています。
 もう一つここへ来てから偶然の恩恵に浴したと思うのは、普通の宿屋のように二人が始終《しじゅう》膝《ひざ》を突き合わして、一つの部屋にごろごろしていないですむ事です。家は今申した通り手狭《てぜま》至極《しごく》なものであります。門を出て右の坂上にある或る長者《ちょうじゃ》の拵《こしら》えた西洋館などに比べると全くの燐寸箱《マッチばこ》に過ぎません。それでも垣を囲《めぐ》らして四方から切り離した独立の一軒家です。窮屈ではあるが間数《まかず》は五つほどあります。兄さんと私は一つ座敷に吊《つ》った一つ蚊帳《かや》の中に寝ます。しかし宿屋と違って同じ時間に起きる必要はありません。片方が起きても、片方は寝たいだけ寝ていられます。私は兄さんをそっとしておいて、次の座敷に据《す》えてある一閑張《いっかんばり》の机に向う事ができます。昼もその通りです。二人差向いでいるのが苦痛になれば、どっちかが勝手に姿を隠して、自分に都合のいい事を、好な時間だけやります。それから適当な頃にまた出て来て顔を見せます。
 私はこういう偶然を利用してこの手紙を書くのであります。そうしてこの偶然を思いがけなく利用する事のできた自分を、あなたのために仕合せと考えます。同時に、それを利用する必要を認め出した自分を、自分のために遺憾《いかん》だと思います。
 私のいう事は順序からいうと日記体に纏《まと》まっておりません。分類からいうと科学的に区別が立たないかも知れません。しかしそれは汽車、俥《くるま》、宿、すべて規則的な仕事を妨《さまた》げる旅行というものの障害と、平気で取りかかりにくいというその仕事の性質とが、破壊的に働いた結果と思っていただくより仕方がありません。断片的にせよ下《しも》に述べるだけの事をあなたに報道し得るのがすでに私には意外なのであります。全く偶然の御蔭《おかげ》なのであります。

        三十

 我々は二人とも大した旅行癖《りょこうへき》のない男です。したがって我々の編み上げた旅程もまた経験相応に平凡でした。近くて便利な所を人並に廻って歩けば、それで目的の大半は達せられるくらいな考えで、まず相模《さがみ》伊豆|辺《あたり》をぼんやり心がけました。
 それでも私の方が兄さんよりはまだましでした。私は主要な場所と、そこへ行くべき交通機関とをほぼ承知していましたが、兄さんに至ってはほとんど地理や方角を超越していました。兄さんは国府津《こうづ》が小田原《おだわら》の手前か先か知りませんでした。知らないというよりむしろ構わないのでしょう。これほど一方に無頓着《むとんじゃく》な兄さんが、なぜ人事上のあらゆる方面に、同じ平然たる態度を見せる事ができないのかと思うと、私は実際不思議な感に打たれざるを得ません。しかしそれは余事です。話が逸《そ》れると戻り悪《にく》くなりますから、なるべく本流を伝《つた》って、筋を離れないように進む事にしましょう。
 我々は始め逗子《ずし》を基点として出発する事に相談をきめていました。ところがその朝新橋へ駆《か》けつける俥《くるま》の上で、ふと私の考えが変りました。いかに平凡な旅行にしても、真先に逗子へ行くのは、あまりに平凡過ぎて気が進まなくなったのです。私は停車場《ステーション》で兄さんに相談の仕直しをやりました。私は行程を逆にして、まず沼津から修善寺《しゅぜんじ》へ出て、それから山越《やまごし》に伊東の方へ下りようと云いました。小田原と国府津の後先《あとさき》さえ知らない兄さんに異存のあるはずがないので、我々はすぐ沼津までの切符を買って、そのまま東海道行の汽車に乗り込みました。
 汽車中では報知に値《あたい》するような事が別に起りませんでした。先方へ着いても、風呂へ入ったり、飯を食ったり、茶を飲んだりする間は、これといって目に着く点もなかったのです。私は兄さんについて、これはことによると家族の人の参考のために、知らせておく必要があるかも知れないと思い出したのは、その日の晩になってからであります。
 寝るには早過ぎました。話にはもう飽《あ》きました。私は旅行中に誰でも経験する一種の徒然《とぜん》に襲われました。ふと床の間の脇《わき》を見ると、そこに重そうな碁盤《ごばん》が一面あったので、私はすぐそれを室《へや》の真中へ持ち出しました。無論兄さんを相手に黒白《こくびゃく》を争うつもりでした。あなたは御存じだかどうだか知りませんが、私は学校にいた時分、これでよく兄さんと碁《ご》を打ったものです。その後《ご》二人とも申し合せたように、ぴたりとやめてしまいましたが、この場合、二人が持て余している時間を、面白く過ごすには碁盤が屈強の道具に違なかったのです。
 兄さんはしばらく碁盤を眺めていました。そうしておいて「まあ止そう」と云いました。私は思い込んだ勢いで、「そう云わずにやろうじゃないか」と押し返しました。それでも兄さんは「いやいやまあ止そう」と云います。兄さんの顔を見ると、眼と眉《まゆ》の間に変な表情がありました。それが何の碁なんぞと云った風の軽蔑《けいべつ》または無頓着《むとんじゃく》を示していないのですから、私はちょっと異《い》な心持がしました。しかし無理に強《し》いるのも厭《いや》ですから、私はとうとう一人で碁石を取り上げて、黒と白を打手違《うつてちがい》に、盤の上に並べ始めました。兄さんは少しの間それを見ていました。私がなお黙って打ち続けて行きますと、兄さんは不意に座を立って廊下へ出ました。おおかた便所へでも行ったのだろうと思った私は、いっこう兄さんの挙動には注意を払いませんでした。

        三十一

 案の通り兄さんは時を移さず戻って来ました。そうして突然《いきなり》「やろう」というや否や、自分の手から、碁石を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《も》ぎ取るように引《ひ》っ手繰《たく》りました。私は何の気もつかずに、「よろしい」と答えて、すぐ打ち始めました。我々のは申すまでもなくヘボ碁ですから、石を下《くだ》すのも早いし、勝負の片づくのも雑作《ぞうさ》はありません。一時間のうちに悠《ゆう》に二番ぐらいは始末ができるくらいだから、見ていても局に対《むか》っていても、間怠《まだる》い思いはけっしてないのです。ところを兄さんは、その手早く運んで行く碁面を、しまいまで辛抱して眺めているのは苦痛だと云って、とうとう中途でやめてしまいました。私は心持でも悪くなったのかと思って心配しましたが、兄さんはただ微笑していました。
 床に入る前になって、私は始めて兄さんからその時の心理状態の説明を聞きました。兄さんは碁を打つのは固《もと》より、何をするのも厭《いや》だったのだそうです。同時に、何かしなくってはいられなかったのだそうです。この矛盾がすでに兄さんには苦痛なのでした。兄さんは碁を打ち出せば、きっ
前へ 次へ
全52ページ中45ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング