この最後の言葉を聞くまで、彼はもっともらしく腕組をして自分の膝頭《ひざがしら》を眺めていた。
「じゃ君といっしょに行こうじゃないか。いっしょの方が僕一人より好かろう、精《くわ》しい話ができて」
 三沢にそれだけの好意があれば、自分に取っても、それに越した都合はなかった。彼は着物を着換ると云ってすぐ座を起《た》ったが、しばらくするとまた襖《ふすま》の陰《かげ》から顔を出して、「君、母が久しぶりだから君に飯を食わせたいって今|支度《したく》をしているところなんだがね」と云った。自分は落ちついて馳走《ちそう》を受ける気分をもっていなかった。しかしそれを断ったにしたところで、飯はどこかで食わなければならなかった。自分は瞹眛《あいまい》な返事をして、早く立ちたいような気のする尻を元の席に据《す》えていた。そうして本棚《ほんだな》の上に載せてある女の首をちょいちょい眺めた。
「どうも何にもございませんのに、御引留め申しましてさぞ御迷惑でございましたろう。ほんの有合せで」
 三沢の母は召使に膳《ぜん》を運ばせながらまた座敷へ顔を出した。膳の端《はし》には古そうに見える九谷焼の猪口《ちょく》が載せてあった。
 それでも三沢といっしょに出たのは思ったより早かった。電車を降りて五六丁|歩《あ》るいて、Hさんの応接間に通った時、時計を見たらまだ八時であった。
 Hさんは銘仙《めいせん》の着物に白い縮緬《ちりめん》の兵児帯《へこおび》をぐるぐる巻きつけたまま、椅子《いす》の上に胡坐をかいて、「珍らしいお客さんを連れて来たね」と三沢に云った。丸い顔と丸い五分刈《ごぶがり》の頭をもった彼は、支那人のようにでくでく肥《ふと》っていた。話しぶりも支那人が慣れない日本語を操《あや》つる時のように、鈍《のろ》かった。そうして口を開くたびに、肉の多い頬が動くので、始終《しじゅう》にこにこしているように見えた。
 彼の性質は彼の態度の示す通り鷹揚《おうよう》なものであった。彼は比較的堅固でない椅子の上に、わざわざ両足を載せて胡坐をかいたなり、傍《はた》から見るとさも窮屈そうな姿勢の下《もと》に、夷然《いぜん》として落ちついていた。兄とはほとんど正反対なこの様子なり気風なりが、かえって兄と彼とを結びつける一種の力になっていた。何にも逆《さか》らわない彼の前には、兄も逆らう気が出なかったのだろう。自分はHさんの悪口を云う兄の言葉を、今までついぞ一度も聞いた事がなかった。
「兄さんは相変らず勉強ですか。ああ勉強してはいけないね」
 悠長《ゆうちょう》な彼はこう云って自分の吐いた煙草《たばこ》の煙を眺めていた。

        十五

 やがて用事が三沢の口から切り出された。自分はすぐその後《あと》に随《つ》いて主要な点を説明した。Hさんは首を捻《ひね》った。
「そりゃ少し妙ですね、そんなはずはなさそうだがね」
 彼の不審はけっして偽《いつわり》とは見えなかった。彼は昨日《きのう》Kの結婚披露に兄と精養軒で会った。そこを出る時にもいっしょに出た。話が途切《とぎ》れないので、浮か浮かと二人連立って歩いた。しまいに兄が疲れたといった。Hさんは自分の家に兄を引張って行った。
「兄さんはここで晩飯を食ったくらいなんだからね。どうも少しも不断と違ったところはないようでしたよ」
 わがままに育った兄は、平生から家《うち》で気むずかしい癖に、外では至極《しごく》穏かであった。しかしそれは昔の兄であった。今の彼を、ただ我儘《わがまま》の二字で説明するのは余りに単純過ぎた。自分はやむをえずその時兄がHさんに向って重《おも》にどんな話をしたか、差支《さしつか》えない限りそれを聞こうと試みた。
「なに別に家庭の事なんか一口も云やしませんよ」
 これも嘘《うそ》ではなかった。記憶の好いHさんは、その時の話題を明瞭《めいりょう》に覚えていて、それを最も淡泊《たんぱく》な態度で話してくれた。
 兄はその時しきりに死というものについて云々したそうである。彼は英吉利《イギリス》や亜米利加《アメリカ》で流行《はや》る死後の研究という題目に興味をもって、だいぶその方面を調べたそうである。けれども、どれもこれも彼には不満足だと云ったそうである。彼はメーテルリンクの論文も読んで見たが、やはり普通のスピリチュアリズムと同じようにつまらんものだと嘆息したそうである。
 兄に関するHさんの話は、すべて学問とか研究とかいう側《がわ》ばかりに限られていた。Hさんは兄の本領としてそれを当然のごとくに思っているらしかった。けれども聞いている自分は、どうしてもこの兄と家庭の兄とを二つに切り離して考える訳には行かなかった。むしろ家庭の兄がこういう研究的な兄を生み出したのだとしか理解できなかった。
「そりゃ動揺はしていますね。御宅の方の関係があるかないか、そこは僕にも解らないが、何しろ思想の上で動揺して落ちつかないで弱っている事はたしかなようです」
 Hさんはしまいにこう云った。彼はその上に兄の神経衰弱も肯《うけ》がった。しかしそれは兄の隠している事でも何でもなかった。兄はHさんに会うたんびに、ほとんどきまり文句のように、それを訴えてやまなかったそうである。
「だからこの際旅行は至極《しごく》好いでしょうよ。そう云う訳なら一つ勧めて見ましょう。しかしうんと云ってすぐ承知するかね。なかなか動かない人だから、ことによるとむずかしいね」
 Hさんの言葉には自信がなかった。
「あなたのおっしゃる事なら素直《すなお》に聞くだろうと思うんですが」
「そうも行かんさ」
 Hさんは苦笑していた。
 表へ出た時はかれこれ十時に近かった。それでも閑静な屋敷町にちらほら人の影が見えた。それが皆《みん》なそぞろ歩きでもするように、長閑《のど》かに履物《はきもの》の音を響かして行った。空には星の光が鈍《にぶ》かった。あたかも眠たい眼をしばたたいているような鈍さであった。自分は不透明な何物かに包まれた気分を抱いた。そうして薄明るい往来を三沢と二人肩を並べて帰った。

        十六

 自分は首を長くしてHさんの消息を待った。花のたよりが都下の新聞を賑《にぎわ》し始めた一週間の後《のち》になっても、Hさんからは何の通知もなかった。自分は失望した。電話を番町へかけて聞き合せるのも厭《いや》になった。どうでもするが好いという気分でじっとしていた。そこへ三沢が来た。
「どうも旨《うま》く行かないそうだ」
 事実ははたして自分の想像した通りであった。兄はHさんの勧誘を断然断ってしまった。Hさんはやむをえず三沢を呼んで、その結果を自分に伝えるように頼んだ。
「それでわざわざ来てくれたのかい」
「まあそうだ」
「どうも御苦労さま、すまない」
 自分はこれ以上何を云う気も起らなかった。
「Hさんはああ云う人だから、自分の責任のように気の毒がっている。今度は事があまり突然なので旨く行かなかったが、この次の夏休みには是非どこかへ連れ出すつもりだと云っていた」
 自分はこういう慰藉《いしゃ》をもたらしてくれた三沢の顔を見て苦笑した。Hさんのような大悠《たいゆう》な人から見たら、春休みも夏休みも同じ事なんだろうけれども、内側で働いている自分達の眼には、夏休みといえば遠い未来であった。その遠い未来と現在の間には大きな不安が潜《ひそ》んでいた。
「しかしまあ仕方がない。元々こっちで勝手なプログラムを拵《こしら》えておいて、それに当てはまるように兄を自由に動かそうというんだから」
 自分はとうとう諦《あきら》めた。三沢は何にも批評せずに、机の角に肱《ひじ》を突き立てて、その上に顋《あご》を載せたなり自分の顔を眺めていた。彼はしばらくしてから、「だから僕のいう通りにすれば好いんだ」と云った。
 この間Hさんに兄の事を依頼しに行った帰《かえ》り途《みち》に、無言な彼は突然往来の真中で自分を驚かしたのである。今まで兄の事について一言《いちごん》も発しなかった彼は、その時不意に自分の肩を突いて、「君兄さんを旅行させるの、快活にするのって心配するより、自分で早く結婚した方が好かないか。その方がつまり君の得だぜ」と云った。
 彼が自分に結婚を勧めたのは、その晩が始めてではなかった。自分はいつも相手がないとばかり彼に答えていた。彼はしまいに相手を拵えてやると云い出した。そうして一時はそれがほとんど事実になりかけた事もあった。
 自分はその晩の彼に向ってもやはり同じような挨拶《あいさつ》をした。彼はそれをいつもより冷淡なものとして記憶していたのである。
「じゃ君のいう通りにするから、本当に相手を出してくれるかい」
「本当に僕のいう通りにすれば、本当に好いのを出す」
 彼は実際心当りがあるような口を利《き》いた。近いうち彼の娶《めと》るべき女からでも聞いたのだろう。
 彼はもう大きな黒い眼をもった精神病の御嬢さんについては多くを語らなかった。
「君の未来の細君はやっぱりああいう顔立なんだろう」
「さあどうかな。いずれそのうち引き合わせるから見てくれたまえ」
「結婚式はいつだい」
「ことによると向うの都合で秋まで延ばすかも知れない」
 彼は愉快らしかった。彼は来るべき彼の生活に、彼のもっている過去の詩を投げかけていた。

        十七

 四月はいつの間にか過ぎた。花は上野から向島、それから荒川という順序で、だんだん咲いていってだんだん散ってしまった。自分は一年のうちで人の最も嬉《うれ》しがるこの花の時節を無為《むい》に送った。しかし月が替《かわ》って世の中が青葉で包まれ出してから、ふり返ってやり過ごした春を眺めるとはなはだ物足りなかった。それでも無為に送れただけがありがたかった。
 家《うち》へはその後《のち》一回も足を向けなかった。家からも誰一人尋ねて来なかった。電話は母とお重から一二度かかったが、それは自分の着る着物についての用事に過ぎなかった。三沢には全く会わなかった。大阪の岡田からは花の盛りに絵端書《えはがき》がまた一枚来た。前と同じようにお貞さんやお兼《かね》さんの署名があった。
 自分は事務所へ通う動物のごとく暮していた。すると五月の末になって突然三沢から大きな招待状を送って来た。自分は結婚の通知と早合点して封を裂いた。ところが案外にもそれは富士見町の雅楽稽古所からの案内状であった。「六月二日音楽演習相催し候間《そろあいだ》同日午後一時より御来聴|被下度候《くだされたくそろ》此段御案内申進|候也《そろなり》」と書いてあった。今までこういう方面に関係があるとは思わなかった三沢が、どうしてこんな案内状を自分に送ったのか、まるで解らなかった。半日の後自分はまた彼の手紙を受け取った。その手紙には、六月二日には、是非来いという文句が添えてあった。是非来いというくらいだから彼自身は無論行くにきまっている。自分はせっかくだからまず行って見ようと思い定めた。けれども、雅楽そのものについては大した期待も何もなかった。それよりも自分の気分に転化の刺戟《しげき》を与えたのは、三沢が余事のごとく名宛《なあて》のあとへ付け足した、短い報知であった。
「Hさんは嘘《うそ》を吐《つ》かない人だ。Hさんはとうとう君の兄さんを説き伏せた。この六月学校の講義を切り上げ次第、二人はどこかへ旅をする事に約束ができたそうだ」
 自分は父のため母のためかつ兄自身のため喜んだ。あの兄がHさんに対して旅行しようと約束する気分になったとすれば、単にそれだけでも彼には大きい変化であった。偽りの嫌《きら》いな彼は必ずそれを実行するつもりでいるに違いなかった。
 自分は父にも母にも実否を問い合わせなかった。Hさんに向ってもその消息を確める手段を取らなかった。ただ三沢の口からもう少し精《くわ》しいところを聞かせて貰いたかった。それも今度会った時で構わないという気があるので、彼の是非来いという六月二日が暗《あん》に待ち受けられた。
 六月二日はあいにく雨であった。十一時頃には少し歇《や》んだが、季節が季節なのでからりと
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