んな愛嬌《あいきょう》を云う男であった。彼が長年社交のために用い慣れた言葉は、遠慮のない家庭にまで、いつか這入り込んで来た。それほど枯れた御世辞《おせじ》だから、それが自分には他《ひと》の「御早う」ぐらいにしか響かなかった。
 彼は三尺の床《とこ》を覗《のぞ》いてそこに掛けた幅物《ふくもの》を眺め出した。
「ちょうど好いね」
 その軸は特にここの床《とこ》の間《ま》を飾るために自分が父から借りて来た小形の半切《はんせつ》であった。彼が「これなら持って行っても好い」と投げ出してくれただけあって、自分にはちょうど好くも何ともない変なものであった。自分は苦笑してそれを眺めていた。
 そこには薄墨で棒が一本|筋違《すじかい》に書いてあった。その上に「この棒ひとり動かず、さわれば動く」と賛《さん》がしてあった。要するに絵とも字とも片《かた》のつかないつまらないものであった。
「御前は笑うがね。これでも渋いものだよ。立派な茶懸《ちゃがけ》になるんだから」
「誰でしたっけね書き手は」
「それは分らないが、いずれ大徳寺か何か……」
「そうそう」
 父はそれで懸物《かけもの》の講釈を切り上げようとはしなかった。大徳寺がどうの、黄檗《おうばく》がどうのと、自分にはまるで興味のない事を説明して聞かせた。しまいに「この棒の意味が解るか」などと云って自分を悩ませた。

        八

 その日自分は父に伴《つ》れられて上野の表慶館を見た。今まで彼に随《つ》いてそういう所へ行った事は幾度となくあったが、まさかそのために彼がわざわざ下宿へ誘いに来《き》ようとは思えなかった。自分は父と共に下宿の門《かど》を出て上野へ向う途々《みちみち》も、今に彼の口から何か本当の用事が出るに違《ちがい》ないと予期していた。しかしそれをこっちから聞く勇気はとても起らなかった。兄の名も嫂《あによめ》の名も彼の前には封じられた言葉のごとく、自分の声帯を固く括《くく》りつけた。
 表慶館で彼は利休の手紙の前へ立って、何々せしめ候《そろ》……かね、といった風に、解らない字を無理にぽつぽつ読んでいた。御物《ごもつ》の王羲之《おうぎし》の書を見た時、彼は「ふうんなるほど」と感心していた。その書がまた自分には至ってつまらなく見えるので、「大いに人意を強うするに足るものだ」と云ったら、「なぜ」と彼は反問した。
 二人は二階の広間へ入った。するとそこに応挙《おうきょ》の絵がずらりと十幅ばかりかけてあった。それが不思議にも続きもので、右の端《はじ》の巌《いわ》の上に立っている三羽の鶴と、左の隅《すみ》に翼をひろげて飛んでいる一羽のほかは、距離にしたら約二三間の間ことごとく波で埋《うま》っていた。
「唐紙《からかみ》に貼《は》ってあったのを、剥《は》がして懸物《かけもの》にしたのだね」
 一幅ごとに残っている開閉《あけたて》の手摺《てずれ》の痕《あと》と、引手《ひきて》の取れた部分の白い型を、父は自分に指し示した。自分は広間の真中に立ってこの雄大な画《え》を描いた昔の日本人を尊敬する事を、父の御蔭《おかげ》でようやく知った。
 二階から下りた時、父は玉《ぎょく》だの高麗焼《こうらいやき》だのの講釈をした。柿右衛門《かきえもん》と云う名前も聞かされた。一番下らないのはのんこうの茶碗であった。疲れた二人はついに表慶館を出た。館の前を掩《おお》うように聳《そび》えている蒼黒《あおぐろ》い一本の松の木を右に見て、綺麗《きれい》な小路《こみち》をのそのそ歩いた。それでも肝心《かんじん》の用事について、父は一言《ひとこと》も云わなかった。
「もうじき花が咲くね」
「咲きますね」
 二人はまたのそのそ東照宮の前まで来た。
「精養軒で飯でも食うか」
 時計はもう一時半であった。小さい時分から父に伴《つ》れられて外出《そとで》するたびに、きっとどこかで物を食う癖のついた自分は、成人の後《のち》も御供と御馳走《ごちそう》を引き離しては考えていなかった。けれどもその日はなぜだか早く父に別れたかった。
 行きがけに気のつかなかったその精養軒の入口は、五色の旗で隙間《すきま》なく飾られた綱を、いつの間にか縦横に渡して、絹帽《シルクハット》の客を華《はな》やかに迎えていた。
「何かあるんですよ今日は。おおかた貸し切りなんでしょう」
「なるほど」
 父は立ち留って木《こ》の間《ま》にちらちらする旗の色を眺めていたが、やがて気のついた風で、「今日は二十三日だったね」と聞いた。その日は二十三日であった。そうしてKという兄の知人の結婚披露の当日であった。
「つい忘れていた。一週間ばかり前に招待状が来ていたっけ。一郎と直《なお》と二人の名宛《なあて》で」
「Kさんはまだ結婚しなかったのですかね」
「そうさ。善《よ》く知らないが、まさか二度目じゃなかろうよ」
 二人は山を下りてとうとうその左側にある洋食屋に這入《はい》った。
「ここは往来がよく見える。ことに寄ると一郎が、絹帽を被《かぶ》って通るかも知れないよ」
「嫂《ねえ》さんもいっしょなんですか」
「さあ。どうかね」
 二階の窓際近くに席を占めた自分達は、花で飾られた低い瓶《ヴァーズ》を前に、広々した三橋《みはし》の通りを見下した。

        九

 食事中父は機嫌《きげん》よく話した。しかし用談らしい改まったものは、珈琲《コーヒー》を飲むまでついに彼の口に上《のぼ》らなかった。表へ出た時、彼は始めて気のついたらしい顔をして、向う側の白い大きな建物を眺めた。
「やあいつの間にか勧工場《かんこうば》が活動に変化しているね。ちっとも知らなかった。いつ変ったんだろう」
 白い洋館の正面に金字で書いてある看板の周囲は、無数の旗の影で安価に彩《いろど》られていた。自分は職業柄、さも仰山《ぎょうさん》らしく東京の真中に立っているこの粗末な建築を、情ない眼つきで見た。
「どうも驚くね世の中の早く変るには。そう思うとおれなぞもいつ死ぬか分らない」
 好い日曜なのと時刻が時刻なので、往来は今が人の出盛りであった。華《はな》やかな色と、陽気な肉と、浮いた足並の簇《むら》がるなかでこう云った父の言葉は、妙に周囲と調和を欠いていた。
 自分は番町と下宿と方角の岐《わか》れる所で、父に別れようとした。
「用があるのかい」
「ええ少し……」
「まあ好いから宅《うち》までおいで」
 自分は帽子の鍔《つば》へ手をかけたまま躊躇《ちゅうちょ》した。
「いいからおいでよ。自分の宅じゃないか。たまには来るものだ」
 自分はきまりの悪い顔をして父の後《あと》に随《した》がった。父はすぐ後《うしろ》をふり向いた。
「宅じゃ近頃御前が来ないので、みんな不思議がってるんだぜ。二郎はどうしたんだろうって。遠慮が無沙汰《ぶさた》というが、御前のは無遠慮が無沙汰になるんだからなお悪い」
「そう云う訳でもありませんが。……」
「何しろ来るが好い。言訳は宅へ行って、御母さんにたんとするさ。おれはただ引っ張って行く役なんだから」
 父はずんずん歩いた。自分は腹の中であたかも丁年《ていねん》未満の若者のような自分の態度を苦笑しながら、黙って父と歩調を共にした。その日はこの間とは打って変って、青春の第一日ともいうべき暖かい光を、南へ廻った太陽が自分達の上へ投げかけていた。獺《かわうそ》の襟《えり》をつけた重いとんびを纏《まと》った父も、少し厚手の外套《がいとう》を着た自分も、先刻《さっき》からの運動で、少し温気《うんき》に蒸《む》される気味であった。その春の半日を自分は父の御蔭《おかげ》で、珍らしく方々引っ張り廻された。この老いた父と、こう肩を並べて歩いた例《ためし》は近頃とんとなかった。この老いた父とこれから先もう何度こうして歩けるものかそれも分らなかった。
 自分は鈍い不安のうちに、微《かす》かな嬉《うれ》しさと、その嬉しさに伴う一種のはかなさとを感じた。そうして不意に自分の胸を襲ったこの感傷的な気分に、なるべく己《おの》れを任せるような心持で足を運ばせた。
「御母さんは驚いているよ。御彼岸《おひがん》に御萩《おはぎ》を持たせてやっても、返事も寄こさなければ、重箱を返しもしないって。ちょっとでも好いから来ればいいのさ。来られない訳が急にできた訳でもあるまいし」
 自分は何とも返事をしなかった。
「今日は久しぶりに御前を伴《つ》れて行って皆《みん》なに会わせようと思って。――御前一郎に近頃会った事はあるまい」
「ええ実は下宿をする時|挨拶《あいさつ》をしたぎりです」
「それ見ろ。ところが今日はあいにく一郎が留守《るす》だがね。御父さんが上野の披露会の事を忘れていたのが悪かったけれども」
 自分は父に伴《つ》れられて、とうとう番町の門を潜《くぐ》った。

        十

 座敷に這入《はい》った時、母は自分の顔を見て、「おや珍らしいね」と云っただけであった。自分はほとんど権柄《けんぺい》ずくでここへ引っ張られて来ながらも、途々《みちみち》父の情《なさけ》をありがたく感じていた。そうして暗に家に帰ってから母に会う瞬間の光景を予想していた。その予想がこの一言《いちごん》で打ち崩《くず》されたのは案外であった。父は家内の誰にも打ち合せをせずに、全く自分一人の考えで、この不心得な息子に親切を尽してくれたのである。お重は逃げた飼犬を見るような眼つきで自分を見た。「そら迷子《まいご》が帰って来た」と云った。嫂《あによめ》はただ「いらっしゃい」と平生の通り言葉寡《ことばずくな》な挨拶をした。この間の晩一人で尋ねて来た事は、まるで忘れてしまったという風に見えた。自分も人前を憚《はばか》って一口もそれに触れなかった。比較的陽気なのは父であった。彼は多少の諧謔《かいぎゃく》と誇張とを交ぜて、今日どうして自分をおびき出したかを得意らしく母やお重に話した。おびき出すという彼の言葉が自分には仰山《ぎょうさん》でかつ滑稽《こっけい》に聞えた。
「春になったから、皆《みん》なもちっと陽気にしなくっちゃいけない。この頃のように黙ってばかりいちゃ、まるで幽霊屋敷のようで、くさくさするだけだあね。桐畠《きりばたけ》でさえ立派な家《うち》が建つ時節じゃないか」
 桐畠というのは家のつい近所にある角地面《かどじめん》の名であった。そこへ住まうと何か祟《たたり》があるという昔からの言い伝えで、この間まで空地《あきち》になっていたのを、この頃になってようやく或る人が買い取って、大きな普請《ふしん》を始めたのである。父は自分の家が第二の桐畠になるのを恐れでもするように、活々《いきいき》と傍《そば》のものに話し掛けた。平生彼の居馴染《いなじ》んだ室《へや》は、奥の二間《ふたま》続きで、何か用があると、母でも兄でも、そこへ呼び出されるのが例になっていたが、その日はいつもと違って、彼は初めから居間へは這入らなかった。ただ袴《はかま》と羽織を脱《ぬ》ぎ棄《す》てたなり、そこへ坐《すわ》ったまま、長く自分達を相手に喋舌《しゃべ》っていた。
 久しく住み馴《な》れた自分の家も、こうしてたまに来て見ると、多少忘れ物でも思い出すような趣《おもむき》があった。出る時はまだ寒かった。座敷の硝子戸《ガラスど》はたいてい二重に鎖《とざ》されて、庭の苔《こけ》を残酷に地面から引き剥《はが》す霜《しも》が一面に降っていた。今はその外側の仕切《しきり》がことごとく戸袋の中《うち》に収《おさ》められてしまった。内側も左右に開かれていた。許す限り家の中と大空と続くようにしてあった。樹《き》も苔《こけ》も石も自然から直接に眼の中へ飛び込んで来た。すべてが出る時と趣を異《こと》にしていた。すべてが下宿とも趣を異にしていた。
 自分はこういう過去の記念のなかに坐って、久しぶりに父母《ふぼ》や妹や嫂といっしょに話をした。家族のうちでそこにいないものはただ兄だけであった。その兄の名は先刻《さっき》からまだ一度も誰の会話にも上《のぼ》らなかった。自分はその日彼がKさんの披露会に呼ばれたという事を聞
前へ 次へ
全52ページ中39ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング