父だの母だの自分達は、この二様の意味をもった夫婦と、絵の具で塗り潰《つぶ》した綺麗《きれい》な太鼓と、何物を中に蔵《かく》しているか分らない、御簾《みす》を静粛に眺めた。
 兄は腹のなかで何を考えているか、よそ目から見ると、尋常と変るところは少しもなかった。嫂《あによめ》は元より取《と》り繕《つくろ》った様子もなく、自然そのままに取り済ましていた。
 彼らはすでに過去何年かの間に、夫婦という社会的に大切な経験を彼らなりに甞《な》めて来た、古い夫婦であった。そうして彼らの甞めた経験は、人生の歴史の一部分として、彼らに取っては再びしがたい貴《たっと》いものであったかも知れない。けれどもどっちから云っても、蜜《みつ》に似た甘いものではなかったらしい。この苦《にが》い経験を有する古夫婦が、己《おの》れ達のあまり幸福でなかった運命の割前を、若い男と若い女の頭の上に割りつけて、また新しい不仕合な夫婦を作るつもりなのかしらん。
 兄は学者であった。かつ感情家であった。その蒼白《あおじろ》い額の中にあるいはこのくらいな事を考えていたかも知れない。あるいはそれ以上に深い事を考えていたかも知れない。あるいはすべての結婚なるものを自《みずか》ら呪詛《じゅそ》しながら、新郎と新婦の手を握らせなければならない仲人《なこうど》の喜劇と悲劇とを同時に感じつつ坐《すわ》っていたかも知れない。
 とにかく兄は真面目《まじめ》に坐っていた。嫂も、佐野さんも、お貞さんも、真面目に坐っていた。そのうち式が始まった。巫女《みこ》の一人が、途中から腹痛で引き返したというので介添《かいぞえ》がその代りを勤めた。
 自分の隣に坐っていたお重が「大兄さんの時より淋しいのね」と私語《ささや》いた。その時は簫《しょう》や太鼓を入れて、巫女の左右に入れ交《か》う姿も蝶《ちょう》のように翩々《ひらひら》と華麗《はなやか》に見えた。
「御前の嫁に行く時は、あの時ぐらい賑《にぎや》かにしてやるよ」と自分はお重に云った。お重は笑っていた。
 式が済んでみんなが控所へ帰った時、お貞さんは我々が立っているのに、わざわざ絨氈《じゅうたん》の上に手を突いて、今まで厄介になった礼を丁寧《ていねい》に述べた。彼女の眼には淋《さび》しそうな涙がいっぱい溜《たま》っていた。
 新夫婦と岡田は昼の汽車で、すぐ大阪へ向けて立った。自分は雨のプラットフォームの上で、二三日箱根あたりで逗留《とうりゅう》するはずのお貞さんを見送った後《あと》、父や兄に別れて独《ひと》り自分の下宿へ帰った。そうして途々《みちみち》自分にも当然番の廻ってくるべき結婚問題を人生における不幸の謎《なぞ》のごとく考えた。

        三十七

 お貞さんが攫《さら》われて行くように消えてしまった後の宅《うち》は、相変らずの空気で包まれていた。自分の見たところでは、お貞さんが宅中《うちじゅう》で一番の呑気《のんき》ものらしかった。彼女は永年世話になった自分の家に、朝夕《あさゆう》箒《ほうき》を執《と》ったり、洗《あら》い洒《そそ》ぎをしたりして、下女だか仲働だか分らない地位に甘んじた十年の後《あと》、別に不平な顔もせず佐野といっしょに雨の汽車で東京を離れてしまった。彼女の腹の中も日常彼女の繰り返しつつ慣れ抜いた仕事のごとく明瞭《めいりょう》でかつ器械的なものであったらしい。一家|団欒《だんらん》の時季とも見るべき例の晩餐《ばんさん》の食卓が、一時重苦しい灰色の空気で鎖《とざ》された折でさえ、お貞さんだけはその中に坐って、平生と何の変りもなく、給仕の盆を膝《ひざ》の上に載せたまま平気で控えていた。結婚当日の少し前、兄から書斎へ呼ばれて出て来た時、彼女の顔を染めた色と、彼女の瞼《まぶた》に充《み》ちた涙が、彼女の未来のために、何を語っていたか知らないが、彼女の気質から云えば、それがために長い影響を受けようとも思えなかった。
 お貞さんが去ると共に冬も去った。去ったと云うよりも、まず大した事件も起らずに済んだと評する方が適当かも知れない。斑《まだ》らな雪、枯枝を揺《ゆさ》ぶる風、手水鉢《ちょうずばち》を鎖《と》ざす氷、いずれも例年の面影《おもかげ》を規則正しく自分の眼に映した後、消えては去り消えては去った。自然の寒い課程がこう繰返されている間、番町の家はじっとして動かずにいた。その家の中にいる人と人との関係もどうかこうか今まで通り持ち応《こた》えた。
 自分の地位にも無論変化はなかった。ただお重が遊び半分時々苦情を訴えに来た。彼女は来るたびに「お貞さんはどうしているでしょうね」と聞いた。
「どうしているでしょうって、――お前の所へ何とも云って来ないのか」
「来る事は来るわ」
 聞いて見ると、結婚後のお貞さんについて、彼女は自分より遥《はるか》に豊富な知識をもっていた。
 自分はまた彼女が来るたびに、兄の事を聞くのを忘れなかった。
「兄さんはどうだい」
「どうだいって、あなたこそ悪いわ。家《うち》へ来ても兄さんに逢《あ》わずに帰るんだから」
「わざわざ避けるんじゃない。行ってもいつでも留守なんだから仕方がない」
「嘘《うそ》をおっしゃい。この間来た時も書斎へ這入《はい》らずに逃げた癖に」
 お重は自分より正直なだけに真赤《まっか》になった。自分はあの事件以後どうかして兄と故《もと》の通り親しい関係になりたいと心では希望していたが、実際はそれと反対で、何だか近寄り悪《にく》い気がするので、全くお重の云うごとく、宅《うち》へ行って彼に挨拶《あいさつ》する機会があっても、なるべく会わずに帰る事が多かった。
 お重にやり込められると、自分は無言の降意を表するごとくにあははと笑ったり、わざと短い口髭《くちひげ》を撫《な》でたり、時によると例の通り煙草に火を点《つ》けて瞹眛《あいまい》な煙を吐いたりした。
 そうかと思うとかえってお重の方から突然「大兄さんもずいぶん変人ね。あたし今になって全くあなたが喧嘩《けんか》して出たのも無理はないと思うわ」などと云った。お重から藪《やぶ》から棒にこう驚かされると、自分は腹の底で自分の味方が一人|殖《ふ》えたような気がして嬉《うれ》しかった。けれども表向彼女の意見に相槌《あいづち》を打つほどの稚気《ちき》もなかった。叱りつけるほどの衒気《げんき》もなかった。ただ彼女が帰った後で、たちまち今までの考えが逆《さかさ》まになって、兄の精神状態が周囲に及ぼす影響などがしきりに苦になった。だんだん生物から孤立して、書物の中に引き摺《ず》り込まれて行くように見える彼を平生よりも一倍気の毒に思う事もあった。

        三十八

 母も一二遍来た。最初来た時は大変|機嫌《きげん》が好かった。隣の座敷にいる法学士はどこへ出て何を勤めているのだなどと、自分にも判然《はっきり》解らないような事を、さも大事らしく聞いたりした。その時彼女は宅《うち》の近況について何にも語らずに、「この頃は方々で風邪《かぜ》が流行《はや》るから気をおつけ。お父さんも二三日《にさんち》前から咽喉《のど》が痛いって、湿布《しっぷ》をしてお出でだよ」と注意して去った。自分は彼女の去った後《あと》、兄夫婦の事を思い出す暇さえなかった。彼らの存在を忘れた自分は、快よい風呂に入って、旨《うま》い夕飯《ゆうめし》を食った。
 次に訪《たず》ねてくれた時の母の調子は、前に較《くら》べると少し変っていた。彼女は大阪以後、ことに自分が下宿して以後、自分の前でわざと嫂《あによめ》の批評を回避するような風を見せた。自分も母の前では気が咎《とが》めるというのか、必要のない限り、嫂の名を憚《はばか》って、なるべく口へ出さなかった。ところがこの注意深い母がその折|卒然《そつぜん》と自分に向って、「二郎、ここだけの話だが、いったいお直《なお》の気立は好いのかね悪いのかね」と聞いた。はたして何か始まったのだと心得た自分は冷りとした。
 下宿後の自分は、兄についても嫂についても不謹慎な言葉を無責任に放つ勇気は全くなかったので、母は自分から何一つ満足な材料を得ずして去った。自分の方でも、なぜ彼女がこの気味の悪い質問を自分に突然とかけたかついに要領を得ずに母を逸した。「何かまた心配になるような事でもできたのですか」と聞いても、彼女は「なに別にこれと云って変った事はないんだがね……」と答えるだけで、後は自分の顔を打守るに過ぎなかった。
 自分は彼女が帰った後《あと》、しきりにこの質問に拘泥《こうでい》し始めた。けれども前後の事情だの母の態度だのを綜合《そうごう》して考えて見て、どうしても新しい事件が、わが家庭のうちに起ったとは受取れないと判断した。
 母もあまり心配し過ぎて、とうとう嫂《あね》が解らなくなったのだ。
 自分は最後にこう解釈して、恐ろしい夢に捉《とら》えられたような気持を抱いた。
 お重も来《き》、母も来る中に、嫂だけは、ついに一度も自分の室《へや》の火鉢《ひばち》に手を翳《かざ》さなかった。彼女がわざと遠慮して自分を尋ねない主意は、自分にも好く呑《の》み込めていた。自分が番町へ行ったとき、彼女は「二郎さんの下宿は高等下宿なんですってね。お室に立派な床《とこ》があって、庭に好い梅が植えてあるって云う話じゃありませんか」と聞いた。しかし「今度拝見に行きますよ」とは云わなかった。自分も「見にいらっしゃい」とは云いかねた。もっとも彼女の口に上った梅は、どこかの畠《はたけ》から引っこ抜いて来て、そのままそこへ植えたとしか思われない無意味なものであった。
 嫂が来ないのとは異様の意味で、また同様の意味で、兄の顔はけっして自分の室の裡《うち》に見出されなかった。
 父も来なかった。
 三沢は時々来た。自分はある機会を利用して、それとなく彼にお重を貰う意があるかないかを探って見た。
「そうだね。あのお嬢さんももう年頃だから、そろそろどこかへ片づける必要が逼《せま》って来るだろうね。早く好い所を見つけて嬉《うれ》しがらせてやりたまえ」
 彼はただこう云っただけで、取り合う気色《けしき》もなかった。自分はそれぎり断念してしまった。
 永いようで短い冬は、事の起りそうで事の起らない自分の前に、時雨《しぐれ》、霜解《しもどけ》、空《から》っ風《かぜ》……と既定の日程を平凡に繰り返して、かように去ったのである。


     塵労


        一

 陰刻《いんこく》な冬が彼岸《ひがん》の風に吹き払われた時自分は寒い窖《あなぐら》から顔を出した人のように明るい世界を眺めた。自分の心のどこかにはこの明るい世界もまた今やり過ごした冬と同様に平凡だという感じがあった。けれども呼息《いき》をするたびに春の匂《におい》が脈《みゃく》の中に流れ込む快よさを忘れるほど自分は老いていなかった。
 自分は天気の好い折々|室《へや》の障子《しょうじ》を明け放って往来を眺めた。また廂《ひさし》の先に横《よこた》わる蒼空《あおぞら》を下から透《すか》すように望んだ。そうしてどこか遠くへ行きたいと願った。学校にいた時分ならもう春休みを利用して旅へ出る支度《したく》をするはずなのだけれども、事務所へ通うようになった今の自分には、そんな自由はとても望めなかった。偶《たま》の日曜ですら寝起《ねおき》の悪い顔を一日下宿に持ち扱って、散歩にさえ出ない事があった。
 自分は半ば春を迎えながら半ば春を呪《のろ》う気になっていた。下宿へ帰って夕飯《ゆうめし》を済ますと、火鉢《ひばち》の前へ坐《すわ》って煙草《たばこ》を吹かしながら茫然《ぼんやり》自分の未来を想像したりした。その未来を織る糸のうちには、自分に媚《こ》びる花やかな色が、新しく活けた佐倉炭《さくらずみ》の焔《ほのお》と共にちらちらと燃え上るのが常であったけれども、時には一面に変色してどこまで行っても灰のように光沢《つや》を失っていた。自分はこういう想像の夢から突然何かの拍子《ひょうし》で現在の我に立ち返る事があった。そうしてこの現在の自分と未来の自分とを運命が
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