です」と岡田が微笑しながら煙草《たばこ》の煙を吹いた。「この事件について一番冷淡だったのは君じゃありませんか」
「冷淡にゃ違ないが、あんまりお手軽過ぎて、少し双方に対して申訳がないようだから」
「お手軽どころじゃございません、それだけ長い手紙を書いていただけば。それでお母さまが御満足なさる、こちらは初《はじめ》からきまっている。これほどおめでたい事はないじゃございませんか、ねえあなた」
 お兼さんはこういって、岡田の方を見た。岡田はそうともと云わぬばかりの顔をした。自分は理窟《りくつ》をいうのが厭《いや》になって、二人の目の前で、三銭切手を手紙に貼《は》った。

        十一

 自分はこの手紙を出しっきりにして大阪を立退《たちの》きたかった。岡田も母の返事の来るまで自分にいて貰う必要もなかろうと云った。
「けれどもまあ緩《ゆっ》くりなさい」
 これが彼のしばしば繰り返す言葉であった。夫婦の好意は自分によく解っていた。同時に彼らの迷惑もまたよく想像された。夫婦ものに自分のような横着《おうちゃく》な泊り客は、こっちにも多少の窮屈《きゅうくつ》は免《まぬ》かれなかった。自分は電報のように簡単な端書《はがき》を書いたぎり何の音沙汰《おとさた》もない三沢が悪《にく》らしくなった。もし明日中《あしたじゅう》に何とか音信《たより》がなければ、一人で高野登りをやろうと決心した。
「じゃ明日は佐野を誘って宝塚《たからづか》へでも行きましょう」と岡田が云い出した。自分は岡田が自分のために時間の差繰《さしくり》をしてくれるのが苦《く》になった。もっと皮肉を云えば、そんな温泉場へ行って、飲んだり食ったりするのが、お兼さんにすまないような気がした。お兼さんはちょっと見ると、派出好《はでずき》の女らしいが、それはむしろ色白な顔立や様子がそう思わせるので、性質からいうと普通の東京ものよりずっと地味《じみ》であった。外へ出る夫の懐中にすら、ある程度の束縛を加えるくらい締っているんじゃないかと思われた。
「御酒《ごしゅ》を召上らない方《かた》は一生のお得ですね」
 自分の杯《さかずき》に親しまないのを知ったお兼さんは、ある時こういう述懐《じゅっかい》を、さも羨《うらや》ましそうに洩《も》らした事さえある。それでも岡田が顔を赤くして、「二郎さん久しぶりに相撲《すもう》でも取りましょうか」と野蛮な声を出すと、お兼さんは眉《まゆ》をひそめながら、嬉《うれ》しそうな眼つきをするのが常であったから、お兼さんは旦那の酔《よ》うのが嫌《きら》いなのではなくって、酒に費用《ついえ》のかかるのが嫌いなのだろうと、自分は推察していた。
 自分はせっかくの好意だけれども宝塚行を断《ことわ》った。そうして腹の中で、あしたの朝岡田の留守に、ちょっと電車に乗って一人で行って様子を見て来《き》ようと取りきめた。岡田は「そうですか。文楽《ぶんらく》だと好いんだけれどもあいにく暑いんで休んでいるもんだから」と気の毒そうに云った。
 翌朝《よくあさ》自分は岡田といっしょに家《うち》を出た。彼は電車の上で突然自分の忘れかけていたお貞さんの結婚問題を持ち出した。
「僕はあなたの親類だと思ってやしません。あなたのお父さんやお母さんに書生として育てられた食客《しょっかく》と心得ているんです。僕の今の地位だって、あのお兼だって、みんなあなたの御両親のお蔭《かげ》でできたんです。だから何か御恩返しをしなくっちゃすまないと平生から思ってるんです。お貞さんの問題もつまりそれが動機でしたんですよ。けっして他意はないんですからね」
 お貞さんは宅《うち》の厄介ものだから、一日も早くどこかへ嫁に世話をするというのが彼の主意であった。自分は家族の一人として岡田の好意を謝すべき地位にあった。
「お宅《たく》じゃ早くお貞さんを片づけたいんでしょう」
 自分の父も母も実際そうなのである。けれどもこの時自分の眼にはお貞さんと佐野という縁故も何もない二人がいっしょにかつ離れ離れに映じた。
「旨《うま》く行くでしょうか」
「そりゃ行くだろうじゃありませんか。僕とお兼を見たって解るでしょう。結婚してからまだ一度も大喧嘩《おおげんか》をした事なんかありゃしませんぜ」
「あなた方《がた》は特別だけれども……」
「なにどこの夫婦だって、大概似たものでさあ」
 岡田と自分はそれでこの話を切り上げた。

        十二

 三沢の便《たよ》りははたして次の日の午後になっても来なかった。気の短い自分にはこんなズボラを待ってやるのが腹立《はらだた》しく感ぜられた、強《し》いてもこれから一人で立とうと決心した。
「まあもう一日《いちんち》二日《ふつか》はよろしいじゃございませんか」とお兼さんは愛嬌《あいきょう》に云ってくれた。自分が鞄《かばん》の中へ浴衣《ゆかた》や三尺帯《さんじゃくおび》を詰めに二階へ上《あが》りかける下から、「是非そうなさいましよ」とおっかけるように留めた。それでも気がすまなかったと見えて、自分が鞄の始末をした頃、上《あが》り口《ぐち》へ顔を出して、「おやもう御荷物の仕度をなすったんですか。じゃ御茶でも入れますから、御緩《ごゆっ》くりどうぞ」と降りて行った。
 自分は胡坐《あぐら》のまま旅行案内をひろげた。そうして胸の中《うち》でかれこれと時間の都合を考えた。その都合がなかなか旨《うま》く行かないので、仰向《あおむけ》になってしばらく寝て見た。すると三沢といっしょに歩く時の愉快がいろいろに想像された。富士を須走口《すばしりぐち》へ降りる時、滑《すべ》って転んで、腰にぶら下げた大きな金明水《きんめいすい》入の硝子壜《ガラスびん》を、壊《こわ》したなり帯へ括《くく》りつけて歩いた彼の姿扮《すがた》などが眼に浮んだ。ところへまた梯子段《はしごだん》を踏むお兼さんの足音がしたので、自分は急に起き直った。
 お兼さんは立ちながら、「まあ好かった」と一息|吐《つ》いたように云って、すぐ自分の前に坐《すわ》った。そうして三沢から今届いた手紙を自分に渡した。自分はすぐ封を開いて見た。
「とうとう御着《おつき》になりましたか」
 自分はちょっとお兼さんに答える勇気を失った。三沢は三日前大阪に着いて二日ばかり寝たあげくとうとう病院に入ったのである。自分は病院の名を指《さ》してお兼さんに地理を聞いた。お兼さんは地理だけはよく呑《の》み込んでいたが、病院の名は知らなかった。自分はとにかく鞄《かばん》を提《さ》げて岡田の家を出る事にした。
「どうもとんだ事でございますね」とお兼さんは繰り返し繰り返し気の毒がった。断《ことわ》るのを無理に、下女が鞄を持って停車場《ステーション》まで随《つ》いて来た。自分は途中でなおもこの下女を返そうとしたが、何とか云ってなかなか帰らなかった。その言葉は解るには解るが、自分のようにこの土地に親しみのないものにはとても覚えられなかった。別れるとき今まで世話になった礼に一円やったら「さいなら、お機嫌《きげん》よう」と云った。
 電車を下りて俥《くるま》に乗ると、その俥は軌道《レール》を横切って細い通りを真直《まっすぐ》に馳《か》けた。馳け方があまり烈《はげ》しいので、向うから来る自転車だの俥だのと幾度《いくたび》か衝突しそうにした。自分ははらはらしながら病院の前に降《お》ろされた。
 鞄を持ったまま三階に上《あが》った自分は、三沢を探すため方々の室《へや》を覗《のぞ》いて歩いた。三沢は廊下の突き当りの八畳に、氷嚢《ひょうのう》を胸の上に載《の》せて寝ていた。
「どうした」と自分は室に入るや否や聞いた。彼は何も答えずに苦笑している。「また食い過ぎたんだろう」と自分は叱るように云ったなり、枕元に胡坐《あぐら》をかいて上着《うわぎ》を脱いだ。
「そこに蒲団《ふとん》がある」と三沢は上眼《うわめ》を使って、室の隅《すみ》を指した。自分はその眼の様子と頬の具合を見て、これはどのくらい重い程度の病気なんだろうと疑った。
「看護婦はついてるのかい」
「うん。今どこかへ出て行った」

        十三

 三沢は平生から胃腸のよくない男であった。ややともすると吐いたり下したりした。友達はそれを彼の不養生からだと評し合った。当人はまた母の遺伝で体質から来るんだから仕方がないと弁解していた。そうして消化器病の書物などをひっくり返して、アトニーとか下垂性《かすいせい》とかトーヌスとかいう言葉を使った。自分などが時々彼に忠告めいた事をいうと、彼は素人《しろうと》が何を知るものかと云わぬばかりの顔をした。
「君アルコールは胃で吸収されるものか、腸で吸収されるものか知ってるか」などと澄ましていた。そのくせ病気になると彼はきっと自分を呼んだ。自分もそれ見ろと思いながら必ず見舞に出かけた。彼の病気は短くて二三日長くて一二週間で大抵は癒《なお》った。それで彼は彼の病気を馬鹿にしていた。他人の自分はなおさらであった。
 けれどもこの場合自分はまず彼の入院に驚かされていた。その上に胃の上の氷嚢《ひょうのう》でまた驚かされた。自分はそれまで氷嚢は頭か心臓の上でなければ載《の》せるものでないとばかり信じていたのである。自分はぴくんぴくんと脈を打つ氷嚢を見つめて厭《いや》な心持になった。枕元に坐っていればいるほど、付景気《つけげいき》の言葉がだんだん出なくなって来た。
 三沢は看護婦に命じて氷菓子《アイスクリーム》を取らせた。自分がその一杯に手を着けているうちに、彼は残る一杯を食うといい出した。自分は薬と定食以外にそんなものを口にするのは好くなかろうと思ってとめにかかった。すると三沢は怒った。
「君は一杯の氷菓子を消化するのに、どのくらい強壮な胃が必要だと思うのか」と真面目《まじめ》な顔をして議論を仕かけた。自分は実のところ何にも知らないのである。看護婦は、よかろうけれども念のためだからと云って、わざわざ医局へ聞きに行った。そうして少量なら差支《さしつかえ》ないという許可を得て来た。
 自分は便所に行くとき三沢に知れないように看護婦を呼んで、あの人の病気は全体何というんだと聞いて見た。看護婦はおおかた胃が悪いんだろうと答えた。それより以上の事を尋ねると、今朝看護婦会から派出されたばかりで、何もまだ分らないんだと云って平気でいた。仕方なしに下へ降りて医員に尋ねたら、その男もまだ三沢の名を知らなかった。けれども患者の病名だの処方だのを書いた紙箋《しせん》を繰って、胃が少し糜爛《ただ》れたんだという事だけ教えてくれた。
 自分はまた三沢の傍《そば》へ行った。彼は氷嚢を胃の上に載せたまま、「君その窓から外を見てみろ」、と云った。窓は正面に二つ側面に一つあったけれども、いずれも西洋式で普通より高い上に、病人は日本の蒲団《ふとん》を敷いて寝ているんだから、彼の眼には強い色の空と、電信線の一部分が筋違《すじかい》に見えるだけであった。
 自分は窓側《まどぎわ》に手を突いて、外を見下《みおろ》した。すると何よりもまず高い煙突から出る遠い煙が眼に入《い》った。その煙は市全体を掩《おお》うように大きな建物の上を這《は》い廻っていた。
「河が見えるだろう」と三沢が云った。
 大きな河が左手の方に少し見えた。
「山も見えるだろう」と三沢がまた云った。
 山は正面にさっきから見えていた。
 それが暗《くら》がり峠《とうげ》で、昔は多分大きな木ばかり生えていたのだろうが、今はあの通り明るい峠に変化したんだとか、もう少しするとあの山の下を突《つ》き貫《ぬ》いて、奈良へ電車が通うようになるんだとか、三沢は今誰かから聞いたばかりの事を元気よく語った。自分はこれなら大した心配もないだろうと思って病院を出た。

        十四

 自分は別に行く所もなかったので、三沢の泊った宿の名を聞いて、そこへ俥《くるま》で乗りつけた。看護婦はつい近くのように云ったが、始めての自分にはかなりの道程《みちのり》と思われた。
 その宿には玄関も何にもなかった。這入《はい》ってもいらっ
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