でにいっぱいになっていた。二人は橋を向《むこう》へ渡って上《のぼ》り列車を待ち合わせた。列車は十分と立たないうちに地を動かして来た。
「また会おう」
 自分は「あの女」のために、また「その娘さん」のために三沢の手を固く握った。彼の姿は列車の音と共にたちまち暗中《あんちゅう》に消えた。


     兄


        一

 自分は三沢を送った翌日《あくるひ》また母と兄夫婦とを迎えるため同じ停車場《ステーション》に出かけなければならなかった。
 自分から見るとほとんど想像さえつかなかったこの出来事を、始めから工夫して、とうとうそれを物にするまで漕《こ》ぎつけたものは例の岡田であった。彼は平生からよくこんな技巧を弄《ろう》してその成効《せいこう》に誇るのが好《すき》であった。自分をわざわざ電話口へ呼び出して、そのうちきっと自分を驚かして見せると断ったのは彼である。それからほどなく、お兼さんが宿屋へ尋ねて来て、その訳を話した時には、自分も実際驚かされた。
「どうして来るんです」と自分は聞いた。
 自分が東京を立つ前に、母の持っていた、ある場末《ばすえ》の地面が、新たに電車の布設される通
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