も入費がないんだから」
自分は情ない気がした。ああ云う浮いた家業をする女の平生は羨《うらや》ましいほど派出《はで》でも、いざ病気となると、普通の人よりも悲酸《ひさん》の程度が一層|甚《はなは》だしいのではないかと考えた。
「旦那《だんな》が付いていそうなものだがな」
三沢の頭もこの点だけは注意が足りなかったと見えて、自分がこう不審を打ったとき、彼は何の答もなく黙っていた。あの女に関していっさいの新智識を供給する看護婦もそこへ行くと何の役にも立たなかった。
「あの女」のか弱い身体《からだ》は、その頃の暑さでもどうかこうか持ち応《こた》えていた。三沢と自分はそれをほとんど奇蹟《きせき》のごとくに語り合った。そのくせ両人《ふたり》とも露骨を憚《はばか》って、ついぞ柱の影から室《へや》の中を覗《のぞ》いて見た事がないので、現在の「あの女」がどのくらい窶《やつ》れているかは空《むな》しい想像画に過ぎなかった。滋養浣腸《じようかんちょう》さえ思わしく行かなかったという報知が、自分ら二人の耳に届いた時ですら、三沢の眼には美しく着飾った芸者の姿よりほかに映るものはなかった。自分の頭にも、ただ血色の
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