《どおり》、あまり楽《らく》な身分の人ではなかったらしい。やっとの思いでさっぱりした身装《みなり》をして出て来るように見えた。たまに来てもさも気兼《きがね》らしくこそこそと来ていつの間《ま》にか、また梯子段《はしごだん》を下りて人に気のつかないように帰って行くのだそうである。
「いくら親でも、ああなると遠慮ができるんだね」と三沢は云っていた。
「あの女」の見舞客はみんな女であった。しかも若い女が多数を占《し》めていた。それがまた普通の令嬢や細君と違って、色香《いろか》を命とする綺麗《きれい》な人ばかりなので、その中に交《まじ》るこの母は、ただでさえ燻《くす》ぶり過ぎて地味《じみ》なのである。自分は年を取った貧しそうなこの母の後姿を想像に描《えが》いて暗に憐《あわれ》を催した。
「親子の情合からいうと、娘があんな大病に罹《かか》ったら、母たるものは朝晩ともさぞ傍《そば》についていてやりたい気がするだろうね。他人の下女が幅を利《き》かしていて、実際の親が他人扱いにされるのは、見ていてもあまり好い心持じゃない」
「いくら親でも仕方がないんだよ。だいち傍にいてやるほどの時間もなし、時間があって
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