いや》で、ただ氷ばかり呑んでいる、それも今呑んだかと思うと、すぐまた食べたくなるんで、どうもしようがないと云った。
 三沢は女に、それはおおかた胃が悪いのだろうから、どこかへ行って専門の大家にでも見せたら好かろうと真面目な忠告をした。女も他《ひと》に聞くと胃病に違ないというから、好い医者に見せたいのだけれども家業が家業だからと後《あと》は云い渋っていた。彼はその時女から始めてここの病院と院長の名前を聞いた。
「僕もそう云う所へちょっと入ってみようかな。どうも少し変だ」
 三沢は冗談《じょうだん》とも本気ともつかない調子でこんな事を云って、女から縁喜《えんぎ》でもないように眉《まゆ》を寄せられた。
「それじゃまあたんと飲んでから後《あと》の事にしよう」と三沢は彼の前にある盃《さかずき》をぐっと干して、それを女の前に突き出した。女はおとなしく酌をした。
「君も飲むさ。飯は食えなくっても、酒なら飲めるだろう」
 彼は女を前に引きつけてむやみに盃をやった。女も素直《すなお》にそれを受けた。しかししまいには堪忍《かんにん》してくれと云い出した。それでもじっと坐ったまま席を立たなかった。
「酒を呑
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