」と答えた。その調子が余り高いという訳なんだろう、三沢は団扇でぱっと自分の顔を煽《あお》いだ。そうして急に持ち交《か》えた柄《え》の方を前へ出して、自分達のいる室の筋向うを指《さ》した。
「あの室へ這入《はい》ったんだ。君の帰った後《あと》で」
 三沢の室は廊下の突き当りで往来の方を向いていた。女の室は同じ廊下の角《かど》で、中庭の方から明りを取るようにできていた。暑いので両方共入り口は明けたまま、障子《しょうじ》は取り払ってあったから、自分のいる所から、団扇の柄で指《さ》し示された部屋の入口は、四半分ほど斜めに見えた。しかしそこには女の寝ている床《とこ》の裾《すそ》が、画《え》の模様のように三角に少し出ているだけであった。
 自分はその蒲団の端《はじ》を見つめてしばらく何も云わなかった。
「潰瘍《かいよう》の劇《はげ》しいんだ。血を吐《は》くんだ」と三沢がまた小さな声で告げた。自分はこの時彼が無理をやると潰瘍になる危険があるから入院したと説明して聞かせた事を思い出した。潰瘍という言葉はその折自分の頭に何らの印象も与えなかったが、今度は妙に恐ろしい響を伝えた。潰瘍の陰に、死という怖いも
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