早く床《とこ》に這入《はい》った。するとその蚊帳に穴があって、蚊《か》が二三|疋《びき》這入って来た。団扇《うちわ》を動かして、それを払《はら》い退《の》けながら寝ようとすると、隣の室《へや》の話し声が耳についた。客は下女を相手に酒でも呑んでいるらしかった。そうして警部だとかいう事であった。自分は警部の二字に多少の興味があった。それでその人の話を聞いて見る気になったのである。すると自分の室を受持っている下女が上って来て、病院から電話だと知らせた。自分は驚いて起き上った。
電話の相手は三沢の看護婦であった。病人の模様でも急に変ったのかと思って心配しながら用事を聞いて見ると病人から、明日《あした》はなるべく早く来てくれ、退屈で困るからという伝言に過ぎなかった。自分は彼の病気がはたしてそう重くないんだと断定した。「何だそんな事か、そういうわがままはなるべく取次《とりつ》がないが好い」と叱りつけるように云ってやったが、後で看護婦に対して気の毒になったので、「しかし行く事は行くよ。君が来てくれというなら」とつけ足《た》して室へ帰った。
下女はいつ気がついたか、蚊帳の穴を針と糸で塞《ふさ》いで
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