しゃいと挨拶《あいさつ》に出る下女もなかった。自分は三沢の泊ったという二階の一間《ひとま》に通された。手摺《てすり》の前はすぐ大きな川で、座敷から眺《なが》めていると、大変|涼《すず》しそうに水は流れるが、向《むき》のせいか風は少しも入らなかった。夜《よ》に入《い》って向側に点ぜられる灯火のきらめきも、ただ眼に少しばかりの趣《おもむき》を添えるだけで、涼味という感じにはまるでならなかった。
自分は給仕の女に三沢の事を聞いて始めて知った。彼は二日《ふつか》ここに寝たあげく、三日目に入院したように記憶していたが実はもう一日前の午後に着いて、鞄《かばん》を投げ込んだまま外出して、その晩の十時過に始めて帰って来たのだそうである。着いた時には五六人の伴侶《つれ》がいたが、帰りにはたった一人になっていたと下女は告げた。自分はその五六人の伴侶の何人《なんびと》であるかについて思い悩んだ。しかし想像さえ浮ばなかった。
「酔ってたかい」と自分は下女に聞いて見た。そこは下女も知らなかった。けれども少し経《た》って吐《は》いたから酔っていたんだろうと答えた。
自分はその夜《よ》蚊帳《かや》を釣って貰って
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