強い色の空と、電信線の一部分が筋違《すじかい》に見えるだけであった。
自分は窓側《まどぎわ》に手を突いて、外を見下《みおろ》した。すると何よりもまず高い煙突から出る遠い煙が眼に入《い》った。その煙は市全体を掩《おお》うように大きな建物の上を這《は》い廻っていた。
「河が見えるだろう」と三沢が云った。
大きな河が左手の方に少し見えた。
「山も見えるだろう」と三沢がまた云った。
山は正面にさっきから見えていた。
それが暗《くら》がり峠《とうげ》で、昔は多分大きな木ばかり生えていたのだろうが、今はあの通り明るい峠に変化したんだとか、もう少しするとあの山の下を突《つ》き貫《ぬ》いて、奈良へ電車が通うようになるんだとか、三沢は今誰かから聞いたばかりの事を元気よく語った。自分はこれなら大した心配もないだろうと思って病院を出た。
十四
自分は別に行く所もなかったので、三沢の泊った宿の名を聞いて、そこへ俥《くるま》で乗りつけた。看護婦はつい近くのように云ったが、始めての自分にはかなりの道程《みちのり》と思われた。
その宿には玄関も何にもなかった。這入《はい》ってもいらっ
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