った。そうして三沢から今届いた手紙を自分に渡した。自分はすぐ封を開いて見た。
「とうとう御着《おつき》になりましたか」
自分はちょっとお兼さんに答える勇気を失った。三沢は三日前大阪に着いて二日ばかり寝たあげくとうとう病院に入ったのである。自分は病院の名を指《さ》してお兼さんに地理を聞いた。お兼さんは地理だけはよく呑《の》み込んでいたが、病院の名は知らなかった。自分はとにかく鞄《かばん》を提《さ》げて岡田の家を出る事にした。
「どうもとんだ事でございますね」とお兼さんは繰り返し繰り返し気の毒がった。断《ことわ》るのを無理に、下女が鞄を持って停車場《ステーション》まで随《つ》いて来た。自分は途中でなおもこの下女を返そうとしたが、何とか云ってなかなか帰らなかった。その言葉は解るには解るが、自分のようにこの土地に親しみのないものにはとても覚えられなかった。別れるとき今まで世話になった礼に一円やったら「さいなら、お機嫌《きげん》よう」と云った。
電車を下りて俥《くるま》に乗ると、その俥は軌道《レール》を横切って細い通りを真直《まっすぐ》に馳《か》けた。馳け方があまり烈《はげ》しいので、向うか
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