鞄《かばん》の中へ浴衣《ゆかた》や三尺帯《さんじゃくおび》を詰めに二階へ上《あが》りかける下から、「是非そうなさいましよ」とおっかけるように留めた。それでも気がすまなかったと見えて、自分が鞄の始末をした頃、上《あが》り口《ぐち》へ顔を出して、「おやもう御荷物の仕度をなすったんですか。じゃ御茶でも入れますから、御緩《ごゆっ》くりどうぞ」と降りて行った。
 自分は胡坐《あぐら》のまま旅行案内をひろげた。そうして胸の中《うち》でかれこれと時間の都合を考えた。その都合がなかなか旨《うま》く行かないので、仰向《あおむけ》になってしばらく寝て見た。すると三沢といっしょに歩く時の愉快がいろいろに想像された。富士を須走口《すばしりぐち》へ降りる時、滑《すべ》って転んで、腰にぶら下げた大きな金明水《きんめいすい》入の硝子壜《ガラスびん》を、壊《こわ》したなり帯へ括《くく》りつけて歩いた彼の姿扮《すがた》などが眼に浮んだ。ところへまた梯子段《はしごだん》を踏むお兼さんの足音がしたので、自分は急に起き直った。
 お兼さんは立ちながら、「まあ好かった」と一息|吐《つ》いたように云って、すぐ自分の前に坐《すわ》
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