へ行こうとした。母は急に後から呼び留めた。
「二郎たとい、お前が家《うち》を出たってね……」
母の言葉はそれだけで支《つか》えてしまった。自分は「何ですか」と聞き返したため、元の場所に立っていなければならなかった。
「兄さんにはもう御話しかい」と母は急に即《つ》かぬ事を云い出した。
「いいえ」と自分は答えた。
「兄さんにはかえってお前から直下《じか》に話した方が好いかも知れないよ。なまじ、御父さんや御母さんから取次ぐと、かえって感情を害するかも知れないからね」
「ええ僕もそう思っています。なるたけ綺麗《きれい》にして出るつもりですから」
自分はこう断って、すぐ父の居間に這入《はい》った。父は長い手紙を書いていた。
「大阪の岡田からお貞の結婚について、この間また問い合せが来たので、その返事を書こう書こうと思いながら、とうとう今日まで放っておいたから、今日は是非一つその義務を果そうと思って、今書いているところだ。ついでだからそう云っとくが、御前の書く拝啓の啓の字は間違っている。崩《くず》すならそこにあるように崩すものだ」
長い手紙の一端がちょうど自分の坐った膝《ひざ》の前に出ていた。
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