の馬鹿野郎」と兄は突然大きな声を出した。その声はおそらく下まで聞えたろうが、すぐ傍《そば》に坐っている自分には、ほとんど予想外の驚きを心臓に打ち込んだ。
「お前はお父さんの子だけあって、世渡りはおれより旨《うま》いかも知れないが、士人の交わりはできない男だ。なんで今になって直の事をお前の口などから聞こうとするものか。軽薄児《けいはくじ》め」
 自分の腰は思わず坐っている椅子《いす》からふらりと離れた。自分はそのまま扉《ドア》の方へ歩いて行った。
「お父さんのような虚偽な自白を聞いた後《あと》、何で貴様の報告なんか宛《あて》にするものか」
 自分はこういう烈《はげ》しい言葉を背中に受けつつ扉《ドア》を閉めて、暗い階段の上に出た。

        二十三

 自分はそれから約一週間ほどというもの、夕食以外には兄と顔を合した事がなかった。平生食卓を賑《にぎ》やかにする義務をもっているとまで、皆《みん》なから思われていた自分が、急に黙ってしまったので、テーブルは変に淋《さみ》しくなった。どこかで鳴く※[#「虫+車」、第3水準1−91−55]《こおろぎ》の音《ね》さえ、併《なら》んでいる人の耳
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