父の語るところを聞くと、その女はしばらくしてすぐ暇を貰ってそこを出てしまったぎり再び顔を見せなかったけれども、その男はそれ以来二三カ月の間何か考え込んだなり魂が一つ所にこびりついたように動かなかったそうである。一遍その女が近所へ来たと云って寄った時などでも、ほかの人の手前だか何だかほとんど一口も物を云わなかった。しかもその時はちょうど午飯《ひるめし》の時で、その女が昔の通り御給仕をしたのだが、男はまるで初対面の者にでも逢《あ》ったように口数《くちかず》を利《き》かなかった。
 女もそれ以来けっして男の家の敷居を跨《また》がなかった。男はまるでその女の存在を忘れてしまったように、学校を出て家庭を作って、二十何年というつい近頃まで女とは何らの交渉もなく打過ぎた。

        十五

「それだけで済めばまあただの逸話さ。けれども運命というものは恐しいもので……」と父がまた語り続けた。
 自分は父が何を云い出すかと思って、彼の顔から自分の眼を離し得なかった。父の物語りの概要を摘《つま》んで見ると、ざっとこうであった。
 その男がその女をまるで忘れた二十何年の後《のち》、二人が偶然運命の
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