すると予定の通り謡が始まった。自分はやがてまたお重が呼び出される事と思って、調戯《からかい》半分茶の間の方に出て行った。お重は一生懸命に会席膳《かいせきぜん》を拭いていた。
「今日はポンポン鳴らさないのか」と自分がことさらに聞くと、お重は妙にとぼけた顔をして、立っている自分を見上げた。
「だって今御膳が出るんですもの。忙しいからって、断ったのよ」
自分は台所や茶の間のごたごたした中で、ふざけ過ぎて母に叱られるのも面白くないと思って、また室《へや》へ取って返した。
夕食後ちょっと散歩に出て帰って来ると、まだ自分の室《へや》に這入《はい》らない先から母に捉《つら》まった。
「二郎ちょうど好いところへ帰って来ておくれだ。奥へ行って御父さんの謡《うたい》を聞いていらっしゃい」
自分は父の謡を聞き慣れているので、一番ぐらい聴くのはさほど厭とも思わなかった。
「何をやるんです」と母に質問した。母は自分とは正反対に謡がまた大嫌《だいきら》いだった。「何だか知らないがね。早くいらっしゃいよ。皆さんが待っていらっしゃるんだから」と云った。
自分は委細承知して奥へ通ろうとした。すると暗い縁側《えん
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