立ってしまった。
 自分は彼女の後姿《うしろすがた》を見て笑い出した。兄は反対に苦《にが》い顔をした。
「二郎お前がむやみに調戯《からか》うからいけない。ああ云う乙女《おぼこ》にはもう少しデリカシーの籠《こも》った言葉を使ってやらなくっては」
「二郎はまるで堂摺連《どうするれん》と同じ事だ」と父が笑うようなまた窘《たし》なめるような句調で云った。母だけは一人不思議な顔をしていた。
「なに二郎がね。お貞さんの顔さえ見ればおめでとうだの嬉しい事がありそうだのって、いろいろの事を云うから、向うでも恥かしがるんです。今も二階で顔を赤くさせたばかりのところだもんだから、すぐ逃げ出したんです。お貞さんは生れつきからして直《なお》とはまるで違ってるんだから、こっちでもそのつもりで注意して取り扱ってやらないといけません……」
 兄の説明を聞いた母は始めてなるほどと云ったように苦笑した。もう食事を済ましていた嫂は、わざと自分の顔を見て変な眼遣《めづかい》をした。それが自分には一種の相図のごとく見えた。自分は父から評された通りだいぶ堂摺連の傾きを持っていたが、この時は父や母に憚《はばか》って、嫂の相図を返
前へ 次へ
全520ページ中253ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング