つ》いて、こんな会話を聴《き》きながら、すばらしく大きな料理屋の玄関の前に立った。自分は何よりもまずその大きいのに驚かされたが、上って案内をされた時、さらにその道中の長いのに吃驚《びっくり》した。三人は段々を下りて細い廊下を通った。
「隧道《トンネル》ですよ」
 お兼さんがこういって自分に教えてくれたとき、自分はそれが冗談《じょうだん》で、本当に地面の下ではないのだと思った。それでただ笑って薄暗いところを通り抜けた。
 座敷では佐野が一人|敷居際《しきいぎわ》に洋服の片膝を立てて、煙草《たばこ》を吹かしながら海の方を見ていた。自分達の足音を聞いた彼はすぐこっちを向いた。その時彼の額の下に、金縁《きんぶち》の眼鏡《めがね》が光った。部屋へ這入《はい》るとき第一に彼と顔を見合せたのは実に自分だったのである。

        九

 佐野は写真で見たよりも一層|御凸額《おでこ》であった。けれども額の広いところへ、夏だから髪を短く刈《か》っているので、ことにそう見えたのかも知れない。初対面の挨拶《あいさつ》をするとき、彼は「何分《なにぶん》よろしく」と云って頭を丁寧《ていねい》に下げた。この
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