を出ると共に、岡田の家を尋ねなければならなかったのである。けれどもそれはただ自分の便宜《べんぎ》になるだけの、いわば私の都合に過ぎないので、先刻《さっき》云った母のいいつけとはまるで別物であった。母が自分に向って、あちらへ行ったら何より先に岡田を尋ねるようにと、わざわざ荷になるほど大きい鑵入《かんいり》の菓子を、御土産《おみやげ》だよと断《ことわ》って、鞄《かばん》の中へ入れてくれたのは、昔気質《むかしかたぎ》の律儀《りちぎ》からではあるが、その奥にもう一つ実際的の用件を控《ひか》えているからであった。
 自分は母と岡田が彼らの系統上どんな幹の先へ岐《わか》れて出た、どんな枝となって、互に関係しているか知らないくらいな人間である。母から依託された用向についても大した期待も興味もなかった。けれども久しぶりに岡田という人物――落ちついて四角な顔をしている、いくら髭《ひげ》を欲しがっても髭の容易に生えない、しかも頭の方がそろそろ薄くなって来そうな、――岡田という人物に会う方の好奇心は多少動いた。岡田は今までに所用で時々出京した。ところが自分はいつもかけ違って会う事ができなかった。したがって強
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