ゃありませんか」
「だっていつやむか解らないから困るんです」
「困りゃしないわ。いくら約束があったって、御天気のせいなら仕方がないんだから」
「しかし兄さんに対して僕の責任がありますよ」
「じゃすぐ帰りましょう」
嫂《あによめ》はこう云って、すぐ立ち上った。その様子には一種の決断があらわれていた。向《むこう》の座敷では客の頭が揃《そろ》ったのか、三味線の音《ね》が雨を隔てて爽《さわや》かに聞え出した。電灯もすでに輝いた。自分も半《なか》ば嫂の決心に促《うなが》されて、腰を立てかけたが、考えると受合って来た話はまだ一言《ひとこと》も口へ出していなかった。後《おく》れて帰るのが母や兄にすまないごとく、少しも嫂に肝心《かんじん》の用談を打ち明けないのがまた自分の心にすまなかった。
「姉さんこの雨は容易にやみそうもありませんよ。それに僕は姉さんに少し用談があって来たんだから」
自分は半分空を眺めてまた嫂をふり返った。自分は固《もと》よりの事、立ち上った彼女も、まだ帰る仕度《したく》は始めなかった。彼女は立ち上ったには、立ち上ったが、自分の様子しだいでその以後の態度を一定しようと、五分の隙間
前へ
次へ
全520ページ中188ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング