で北海の珍味を献上しますと云ったら、父は「何だそんな朱塗《しゅぬ》りの文鎮《ぶんちん》見たいなもの。要《い》らないから早くそっちへ持って行け」と怒った昔を思い出した。
岡田はいつまでも飲んで帰らなかった。始めは興《きょう》を添えた彼の座談もだんだん皆《みん》なに飽きられて来た。嫂《あによめ》は団扇《うちわ》を顔へ当てて欠《あくび》を隠した。自分はとうとう彼を外へ連出さなければならなかった。自分は散歩にかこつけて五六町彼といっしょに歩いた。そうして懐《ふところ》から例の金を出して彼に返した。金を受取った時の彼は、酔っているにもかかわらず驚ろくべくたしかなものであった。「今でなくってもいいのに。しかしお兼が喜びますよ。ありがとう」と云って、洋服の内隠袋《うちがくし》へ収めた。
通りは静であった。自分はわれ知らず空を仰いだ。空には星の光が存外《ぞんがい》濁っていた。自分は心の内に明日《あす》の天気を気遣《きづか》った。すると岡田が藪《やぶ》から棒に「一郎さんは実際むずかしやでしたね」と云い出した。そうして昔《むか》し兄と自分と将棋《しょうぎ》を指した時、自分が何か一口《ひとくち》云ったの
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