にかくちょっと伺候《しこう》して来ますから。失礼」
 岡田はこう云い捨てたなり、とうとう自分の用事を聞かずに二階へ上《あが》って行ってしまった。自分もしばらくして風呂から出た。

        九

 岡田はその夜《よ》だいぶ酒を呑んだ。彼は是非都合して和歌の浦までいっしょに行くつもりでいたが、あいにく同僚が病気で欠勤しているので、予期の通りにならないのがはなはだ残念だと云ってしきりに母や兄に詫《わ》びていた。
「じゃ今夜が御別れだから、少し御過《おす》ごしなさい」と母が勧めた。
 あいにく自分の家族は酒に親しみの薄いものばかりで、誰も彼の相手にはなれなかった。それで皆《みん》な御免蒙《ごめんこうむ》って岡田より先へ食事を済ました。岡田はそれがこっちも勝手だといった風に、独《ひと》り膳《ぜん》を控えて盃《さかずき》を甜《な》め続けた。
 彼は性来《しょうらい》元気な男であった。その上酒を呑むとますます陽気になる好い癖を持っていた。そうして相手が聞こうが聞くまいが、頓着《とんじゃく》なしに好きな事を喋舌《しゃべ》って、時々一人高笑いをした。
 彼は大阪の富が過去二十年間にどのくらい殖《
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