も痩せているのを何かの刑罰のように忌《い》み恐れた。それでもちっとも肥れなかった。
 自分は母の言葉を聞きながら、この苦しい愛嬌《あいきょう》を、慰藉《いしゃ》の一つとしてわが子の前に捧げなければならない彼女の心事を気の毒に思った。兄に比べると遥《はる》かに頑丈《がんじょう》な体躯《からだ》を起しながら、「じゃ御先へ」と母に挨拶《あいさつ》して下へ降りた。風呂場の隣の小さい座敷をちょいと覗《のぞ》くと、嫂は今|髷《まげ》ができたところで、合せ鏡をして鬢《びん》だの髱《たぼ》だのを撫《な》でていた。
「もう済んだんですか」
「ええ。どこへいらっしゃるの」
「御湯へ這入ろうと思って。お先へ失礼してもよござんすか」
「さあどうぞ」
 自分は湯に入《い》りながら、嫂が今日に限ってなんでまた丸髷《まるまげ》なんて仰山《ぎょうさん》な頭に結《ゆ》うのだろうと思った。大きな声を出して、「姉さん、姉さん」と湯壺《ゆつぼ》の中から呼んで見た。「なによ」という返事が廊下の出口で聞こえた。
「御苦労さま、この暑いのに」と自分が云った。
「なぜ」
「なぜって、兄さんの御好《おこの》みなんですか、そのでこでこ頭
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