がたい不愉快に襲われた。
八
自分達はその翌日の朝和歌山へ向けて立つはずになっていた。どうせいったんはここへ引返して来なければならないのだから、岡田の金もその時で好いとは思ったが、性急《せっかち》の自分には紙入をそのまま懐中しているからがすでに厭《いや》だった。岡田はその晩も例の通り宿屋へ話に来るだろうと想像された。だからその折にそっと返しておこうと自分は腹の中《うち》できめた。
兄が湯から上って来た。帯も締《し》めずに、浴衣《ゆかた》を羽織るようにひっかけたままずっと欄干《らんかん》の所まで行ってそこへ濡手拭《ぬれてぬぐい》を懸けた。
「お待遠」
「お母さん、どうです」と自分は母を促《うな》がした。
「まあお這入《はい》りよ、お前から」と云った母は、兄の首や胸の所を眺《なが》めて、「大変好い血色におなりだね。それに少し肉が付いたようじゃないか」と賞《ほ》めていた。兄は性来《しょうらい》の痩《やせ》っぽちであった。宅《うち》ではそれをみんな神経のせいにして、もう少し肥《ふと》らなくっちゃ駄目《だめ》だと云い合っていた。その内でも母は最も気を揉《も》んだ。当人自身
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