。
「お貞さんは病気なんですか」
「実はあの事があるので、ちょうど好い折だから、今度|伴《つ》れて来《き》ようと思って仕度までさせたところが、あいにくお腹《なか》が悪くなってね。残念な事をしましたよ」
「でも大した事じゃないのよ。もうお粥《かゆ》がそろそろ食べられるんだから」と嫂《あによめ》が傍《そば》から説明した。その嫂は父に出す絵端書を持ったまま何か考えていた。「叔父さんは風流人だから歌が好いでしょう」と岡田に勧められて、「歌なんぞできるもんですか」と断った。岡田はまたお重へ宛《あ》てたのに、「あなたの口の悪いところを聞けないのが残念だ」と細《こま》かく謹《つつし》んで書いたので、兄から「将棋の駒がまだ祟《たた》ってると見えるね」と笑われていた。
絵端書が済んで、しばらく世間話をした後で、岡田とお兼さんはまた来ると云って、母や兄が止《と》めるのも聞かずに帰って行った。
「お兼さんは本当に奥さんらしくなったね」
「宅《うち》へ仕立物を持って来た時分を考えると、まるで見違えるようだよ」
母が兄とお兼さんを評し合った言葉の裏には、己《おの》れがそれだけ年を取ったという淡い哀愁《あいし
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