それを知って快よくこちらの要《い》るだけすぐ用立ててくれたに違いなかろうと思った。
 自分は岡田夫婦といっしょに停車場《ステーション》に行った。三人で汽車を待ち合わしている間に岡田は、「どうです。二郎さん喫驚《びっくり》したでしょう」といった。自分はこれと類似の言葉を、彼から何遍も聞いているので、何とも答えなかった。お兼さんは岡田に向って、「あなたこの間から独《ひとり》で御得意なのね。二郎さんだって聞き飽《あ》きていらっしゃるわ。そんな事」と云いながら自分を見て「ねえあなた」と詫《あや》まるようにつけ加えた。自分はお兼さんの愛嬌《あいきょう》のうちに、どことなく黒人《くろうと》らしい媚《こび》を認めて、急に返事の調子を狂わせた。お兼さんは素知《そし》らぬ風をして岡田に話しかけた。――
「奥さまもだいぶ御目にかからないから、ずいぶんお変りになったでしょうね」
「この前会った時はやっぱり元の叔母さんさ」
 岡田は自分の母の事を叔母さんと云い、お兼さんは奥様というのが、自分には変に聞こえた。
「始終《しじゅう》傍《そば》にいると、変るんだか変らないんだか分りませんよ」と自分は答えて笑っている
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