顔をした。自分も彼女の云うところが本当だと思った。それで三沢の事は忘れて、ただ綺羅《きら》を着飾った流行の芸者と、恐ろしい病気に罹《かか》った憐《あわれ》な若い女とを、黙って心のうちに対照した。
「あの女」は器量と芸を売る御蔭《おかげ》で、何とかいう芸者屋の娘分になって家《うち》のものから大事がられていた。それを売る事ができなくなった今でも、やはり今まで通り宅《うち》のものから大事がられるだろうか。もし彼らの待遇が、あの女の病気と共にだんだん軽薄に変って行くなら、毒悪《どくあく》な病と苦戦するあの女の心はどのくらい心細いだろう。どうせ芸妓屋《げいしゃや》の娘分になるくらいだから、生みの親は身分のあるものでないにきまっている。経済上の余裕がなければ、どう心配したって役には立つまい。
 自分はこんな事も考えた。便所から帰った三沢に「あの女の本当の親はあるのか知ってるか」と尋ねて見た。

        二十四

「あの女」の本当の母というのを、三沢はたった一遍見た事があると語った。
「それもほんの後姿《うしろすがた》だけさ」と彼はわざわざ断《ことわ》った。
 その母というのは自分の想像|通《どおり》、あまり楽《らく》な身分の人ではなかったらしい。やっとの思いでさっぱりした身装《みなり》をして出て来るように見えた。たまに来てもさも気兼《きがね》らしくこそこそと来ていつの間《ま》にか、また梯子段《はしごだん》を下りて人に気のつかないように帰って行くのだそうである。
「いくら親でも、ああなると遠慮ができるんだね」と三沢は云っていた。
「あの女」の見舞客はみんな女であった。しかも若い女が多数を占《し》めていた。それがまた普通の令嬢や細君と違って、色香《いろか》を命とする綺麗《きれい》な人ばかりなので、その中に交《まじ》るこの母は、ただでさえ燻《くす》ぶり過ぎて地味《じみ》なのである。自分は年を取った貧しそうなこの母の後姿を想像に描《えが》いて暗に憐《あわれ》を催した。
「親子の情合からいうと、娘があんな大病に罹《かか》ったら、母たるものは朝晩ともさぞ傍《そば》についていてやりたい気がするだろうね。他人の下女が幅を利《き》かしていて、実際の親が他人扱いにされるのは、見ていてもあまり好い心持じゃない」
「いくら親でも仕方がないんだよ。だいち傍にいてやるほどの時間もなし、時間があって
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