でも構わんにしたところで、先方が迷惑するかも知れませんから」
母は先方が迷惑がるはずがないという顔つきで、むやみに細かい質問を始めた。しかし財産がどのくらいあるんだろうとか、親類に貧乏人があるだろうかとか、あるいは悪い病気の系統を引いていやしなかろうかと云うような事になると、自分にはまるで答えられなかった。のみならずしまいには聞くのさえ面倒で厭《いや》になって来た。自分はとうとう逃げ出すようにして番町を出た。
自分がその夜母からいろいろな質問を掛けられている間、嫂《あによめ》は始終《しじゅう》同じ席にいたが、この問題に関してはほとんど一言《ひとこと》も口を開かなかった。母も彼女に向ってついぞ相談がましい言葉をかけなかった。二人のこの態度が、二人の気質をよく代表していた。しかしそれは単に気質の相違からばかり来た一種の対照とも思えなかった。嫂《あによめ》は全くの局外者らしい位地を守るためか何だか、始終《しじゅう》芳江のおもりに気を取られ勝に見えた。日が暮れさえすればすぐ寝かされる習慣の芳江は、昼寝を貪《むさぼ》り過ぎた結果として、その晩はとうとう自分が帰るまで蚊帳《かや》の中へ這入《はい》らなかった。
自分は下宿へ帰って、自分の室《へや》の暑苦しいのを意外に感じた。わざと電気灯を消して暗い所に黙って坐っていた。今朝《けさ》立った兄は今日どこで泊るだろう。Hさんは今夜彼とどんな話をするだろう。鷹揚《おうよう》なHさんの顔が自然と眼の前に浮かんだ。それと共に瘠《や》せた兄の頬に刻《きざ》まれた久しぶりの笑が見えた。
二十八
その翌日《あくるひ》からHさんの手紙が心待に待ち受けられた。自分は一日《いちんち》、二日《ふつか》、三日《みっか》と指を折って日取を勘定《かんじょう》し始めた。けれどもHさんからは何の音信《たより》もなかった。絵端書《えはがき》一枚さえ来なかった。自分は失望した。Hさんに責任を忘れるような軽薄はなかった。しかしこちらの予期通り律義《りちぎ》にそれを果してくれないほどの大悠《たいゆう》はあった。自分は自烈《じれっ》たい部に属する人間の一人として遠くから彼を眺めた。
すると二人が立ってからちょうど十一日目の晩に、重い封書が始めて自分の手に落ちた。Hさんは罫《けい》の細《こま》かい西洋紙へ、万年筆《まんねんふで》で一面に何か書いて
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