る自分達の眼には、夏休みといえば遠い未来であった。その遠い未来と現在の間には大きな不安が潜《ひそ》んでいた。
「しかしまあ仕方がない。元々こっちで勝手なプログラムを拵《こしら》えておいて、それに当てはまるように兄を自由に動かそうというんだから」
 自分はとうとう諦《あきら》めた。三沢は何にも批評せずに、机の角に肱《ひじ》を突き立てて、その上に顋《あご》を載せたなり自分の顔を眺めていた。彼はしばらくしてから、「だから僕のいう通りにすれば好いんだ」と云った。
 この間Hさんに兄の事を依頼しに行った帰《かえ》り途《みち》に、無言な彼は突然往来の真中で自分を驚かしたのである。今まで兄の事について一言《いちごん》も発しなかった彼は、その時不意に自分の肩を突いて、「君兄さんを旅行させるの、快活にするのって心配するより、自分で早く結婚した方が好かないか。その方がつまり君の得だぜ」と云った。
 彼が自分に結婚を勧めたのは、その晩が始めてではなかった。自分はいつも相手がないとばかり彼に答えていた。彼はしまいに相手を拵えてやると云い出した。そうして一時はそれがほとんど事実になりかけた事もあった。
 自分はその晩の彼に向ってもやはり同じような挨拶《あいさつ》をした。彼はそれをいつもより冷淡なものとして記憶していたのである。
「じゃ君のいう通りにするから、本当に相手を出してくれるかい」
「本当に僕のいう通りにすれば、本当に好いのを出す」
 彼は実際心当りがあるような口を利《き》いた。近いうち彼の娶《めと》るべき女からでも聞いたのだろう。
 彼はもう大きな黒い眼をもった精神病の御嬢さんについては多くを語らなかった。
「君の未来の細君はやっぱりああいう顔立なんだろう」
「さあどうかな。いずれそのうち引き合わせるから見てくれたまえ」
「結婚式はいつだい」
「ことによると向うの都合で秋まで延ばすかも知れない」
 彼は愉快らしかった。彼は来るべき彼の生活に、彼のもっている過去の詩を投げかけていた。

        十七

 四月はいつの間にか過ぎた。花は上野から向島、それから荒川という順序で、だんだん咲いていってだんだん散ってしまった。自分は一年のうちで人の最も嬉《うれ》しがるこの花の時節を無為《むい》に送った。しかし月が替《かわ》って世の中が青葉で包まれ出してから、ふり返ってやり過ごした春を眺め
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